皆生

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皆生(かいけ[1][2])は、鳥取県米子市大字名。郵便番号は683-0003[1]。1丁目から6丁目まである。皆生温泉(かいけおんせん)の郵便番号は683-0001で[1]、1丁目から4丁目まである。皆生新田(かいけしんでん)の郵便番号は683-0002で[1]、1丁目から3丁目まである。

歴史

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沿革

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八幡の新兵衛が天正年間、新田を開発する[3]。『伯耆志』には「当時吉川氏の管内にて、彼の官人村名を海池と命じ、当家を姓八幡と賜ふと云へり、古老の口碑には八幡より出でたる人の家と云へば云々」とある[3]。吉川氏からの開拓許可証文が残っている[3]産土神車尾村の貴布禰大明神[3]

海池[3]と書いて、「かいけ」と読んでいたが、今の皆生の字に決まったのは1867年のことである[2]

1871年に鳥取県、1876年島根県1881年に再び鳥取県に所属する。1889年福生村の大字となる。1900年、福生村上福原の漁師、山川忠五郎らが、海岸の浅瀬で湧きだしていた温泉を発見する。皆生温泉土地社長の有本松太郎の努力によって皆生温泉の基礎が築かれる[4]

1938年から米子市の大字。

地名の由来

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海池は海部の書き誤りで「かいふ」であるとか、それだから皆生と書くようになったという説、アイヌ語のカイぺ(磯辺に折れる白波)に始まるという説がある[2]

人口

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『伯耆志』によれば、70戸、300人[3]2019年7月31日現在の世帯数・人口は皆生1丁目74世帯・178人、皆生2丁目42世帯・49人、皆生3丁目342世帯・806人、皆生4丁目161世帯・358人、皆生5丁目638世帯・1348人、皆生6丁目189世帯・392人[5]

皆生新田1丁目185世帯・312人[5]。皆生新田2丁目393世帯・748人[5]。皆生新田3丁目382世帯・845人[5]

皆生温泉1丁目353世帯・678人[5]。皆生温泉2丁目395世帯・777人[5]。皆生温泉3丁目112世帯・167人[5]。皆生温泉4丁目381世帯・572人[5]

経済

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産業

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店・企業

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皆生
皆生温泉
  • 皆生温泉観光(1丁目)
  • まるごう 皆生店(2丁目)
  • ファミリーマート 皆生温泉入口店(2丁目)
  • 米子皆生郵便局(4丁目)
皆生新田
かつて存在した企業

地域

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教育

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健康

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施設

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宗教
  • 皆生温泉神社(皆生温泉3丁目)

出身・ゆかりのある人物

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脚注

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  1. ^ a b c d 米子市の郵便番号一覧日本郵便公式サイト。2023年9月9日閲覧。
  2. ^ a b c 『因伯地名考 村々の名はこうして生まれた』145頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月6日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『伯耆志 巻三』23 - 36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月1日閲覧。
  4. ^ 『鳥取県の温泉』47 - 48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月1日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 米子市町別人口世帯数統計表(令和元年7月31日現在)、米子市。
  6. ^ a b c 『官報 1929年03月07日』官報 第654号 170頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年9月9日閲覧。
  7. ^ 『米子市史』614頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月11日閲覧。

参考文献

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  • 景山粛『伯耆志 巻三』因伯叢書発行所、1916年。
  • 武良禎編『鳥取県の温泉』鳥取県温泉協会、1924年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1929年03月07日』日本マイクロ写真、1929年。
  • 『米子市史』米子市、1943年。
  • 徳永職男『因伯地名考 村々の名はこうして生まれた』鳥取郷土文化研究会、1975年。