石川総親
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 天明8年9月10日(1788年10月9日) |
死没 | 文化5年9月29日(1808年11月17日) |
改名 | 銑藏、内膳、忠朝 |
戒名 | 思成院殿総親日悟大居士 |
墓所 | 東京都北区田端の大久寺 |
官位 | 従五位下、近江守 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 常陸下館藩主 |
氏族 | 三河牧野氏→石川氏 |
父母 | 父:牧野忠精、母:某氏 養父:石川総般 |
兄弟 | 牧野忠精の子:牧野忠鎮、総親、忠雅、康命 娘(太田資言室)、娘(松平信順室)、 娘(西尾忠宝室のち水野忠実室)、 娘(青山幸寛室) |
妻 | 総般養女 |
子 | 総承(石川総般の子) |
石川 総親(いしかわ ふさちか)は、常陸下館藩の第6代藩主。伊勢亀山藩石川家分家8代。
経歴
[編集]天明8年(1788年)9月10日、越後長岡藩主・牧野忠精の次男として生まれた。寛政8年12月29日(1797年)、先代藩主石川総般の養嗣子となり、養父総般の養女(総弾の娘)と婚姻した。享和2年(1802年)の総般の死去により家督を継いだ。
藩財政が悪化していたため、倹約令を出すなどしたが効果はなく、文化5年(1808年)9月25日、または9月29日に21歳で死去した。跡を総般の長男で養嗣子の総承が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
養子