福島九成
福島 九成(ふくしま きゅうせい[1] / くせい[2]、1842年(天保13年6月)[1] - 1914年(大正3年)9月12日[3])は、幕末の佐賀藩士、明治期の陸軍軍人・外交官・官僚。青森県令。通称・栄助、礼助[1]。
経歴
[編集]佐賀藩漢学者・福島文蔵の長男として生まれた。藩校・弘道館、致遠館(長崎)で学んだ[3]。前山清一郎の従僕に選ばれ戊辰戦争に参加[1]。参謀添役として奥羽を転戦した[3][4]。帰藩後、明治2年(1869年)佐賀藩庁に出仕し大弁務となり軍事部門を担当[1]。
明治4年5月17日(1871年7月4日)清国へ留学を命ぜられ、1873年9月12日に帰国。1874年2月、陸軍少佐に任官。熊本鎮台在勤を経て、同年4月、台湾蕃地事務都督参謀に転じ、さらに廈門領事を兼務[4]。台湾出兵収拾のため北京に赴いた全権弁理大臣・大久保利通のもとで清国政府との交渉で活躍[1]。1976年11月、廈門領事専任となるが、1880年7月、厦門領事館廃止となり免官。同年12月、大蔵少書記官に就任[4]。
1881年1月、内務少書記官に転任。1882年12月、内務権大書記官となる[4]。1883年12月、青森県令に就任。地方行政の経験が浅かったが、古荘嘉門大書記官の補佐を受けて県政を執行した。1886年7月、県令を非職となる[2]。1889年7月、非職満期となり退官[5]。その後、実業界に入った[3]。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[8]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
- 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』下巻、新人物往来社、2010年。
- 修史局編『百官履歴 下巻』日本史籍協会、1928年。
- 「福島九成特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A12090214500