秋保氏盛
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延享元年(1744年) |
死没 | 寛政11年2月28日(1799年4月2日) |
別名 | 通称:平三郎、玄蕃、外記 |
墓所 | 大雲寺 |
主君 | 伊達重村→斉村→周宗 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 秋保氏 |
父母 | 父:秋保盛之、養父:秋保良盛 |
兄弟 | 男子3人、氏盛 |
妻 | 大立目盛行娘 |
秋保 氏盛(あきう うじもり)は、江戸時代中期の武士。仙台藩士。秋保氏23代当主。
略歴
[編集]延享元年(1744年)、秋保氏別家・秋保権兵衛盛之の四男として誕生。
宝暦5年(1755年)、秋保氏本家・雅楽良盛の死に伴い養子となり、御一家秋保家324石を継ぐ。同13年(1763年)より藩に出仕し始め、明和2年(1765年)に御申次兼近習、同8年(1771年)に御小姓頭、安永2年(1773年)に若年寄と順調に昇進し、同5年(1776年)には奉行職(他藩の家老相当)に任命され、500石の加増と役料2,000石を賜る。
天明元年(1781年)、知行高の内220石を本領長袋村へ知行替となり、町場を賜る。現在の秋保郷の舘集落はこの時に原形ができたという。同3年(1783年)に御国許御繰合方主宰を命じられ、天明の大飢饉の最中破綻した藩財政の立て直しを図り、同6年(1786年)その功績が認められ知行を1,000石に加増される。
寛政2年(1790年)、御一門寺池伊達家の家政監督を命じられるが、内紛に巻き込まれ退職。病気療養後再び奉行に任命されるが、寛政11年(1799年)2月28日急逝。菩提寺は領内の大雲寺。
人物は姓貞良温恭で人に接するに常に謙譲をもってし、また、威風凛々としてあたかも風が竹を偃せるが如きであったという。
氏盛の功績にあやかり、氏盛の後に秋保家を継いだ昌盛、賢盛は代々「外記」を称した。
出典
[編集]- 秋保町 史編纂委員会『秋保町史 本編』秋保町、1976年