稲羽町
いなばちょう 稲羽町 | |
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廃止日 | 1963年4月1日 |
廃止理由 | 新設合併 那加町、稲羽町、鵜沼町、蘇原町 → 各務原市 |
現在の自治体 | 各務原市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 稲葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 13.89 km2. |
総人口 | 9,885人 (国勢調査、1960年10月1日) |
隣接自治体 | 岐阜市、稲葉郡 那加町、鵜沼町、羽島郡 笠松町、岐南町、川島町 愛知県 江南市 扶桑町 |
稲羽町役場 | |
所在地 | 岐阜県稲葉郡稲羽町上戸町279の3 |
座標 | 北緯35度22分46秒 東経136度50分40秒 / 北緯35.37958度 東経136.84458度座標: 北緯35度22分46秒 東経136度50分40秒 / 北緯35.37958度 東経136.84458度 |
ウィキプロジェクト |
概要
[編集]- 現在の各務原市の南西部、木曽川北岸に該当し、各務原市発足時の4町で唯一全域が濃尾平野に位置し、各務原台地に架かっていない。
- 町名は稲葉郡と羽島郡の村が合併したことから、両郡の文字を1文字ずつ取り入れた事に由来する。1963年に合併で各務原市となったため、わずか8年と約2ヶ月で消滅した。
- 役場の跡地は、稲羽ふれあいセンターの駐車場になっている。
大字
[編集]14の大字が設定された[1]
- 松本町 (旧・中屋村大字松本)
- 上中屋町 (旧・中屋村大字上中屋)
- 下中屋町 (旧・中屋村大字下中屋)
- 大佐野町 (旧・中屋村大字大佐野)
- 成清町 (旧・中屋村大字成清)
- 神置町 (旧・中屋村大字神置)
- 上戸町 (旧・更木村大字上戸)
- 大野町 (旧・更木村大字大野)
- 小佐野町 (旧・更木村大字小佐野)
- 三井町 (旧・更木村大字三井)
- 前渡東町 (旧・前宮村大字前渡)
- 前渡西町 (旧・前宮村大字前渡)
- 山脇町 (旧・前宮村大字若宮)
- 下切町 (旧・前宮村大字若宮)
歴史
[編集]- 1955年(昭和30年)2月11日 - 羽島郡中屋村、稲葉郡更木村、前宮村の3村が合併、町制施行して発足[2]。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 稲葉郡鵜沼町、蘇原町、那加町と合併、市制施行して各務原市が発足。同日稲羽町廃止。この合併により、稲葉郡は消滅。
学校
[編集]- 稲羽町立前宮小学校 (現・各務原市立稲羽東小学校)
- 稲羽町立敬恪小学校 (各務原市発足時に更木小学校と統合し、各務原市立稲羽西小学校)
- 稲羽町立更木小学校 (各務原市発足時に敬恪小学校と統合し、各務原市立稲羽西小学校)
- 稲羽町立稲羽中学校 (現・各務原市立稲羽中学校)
神社・仏閣
[編集]合併について
[編集]- 昭和の大合併での当初の計画では、3村(中屋村、更木村、前宮村)以外に羽島郡川島村との4村での合併であった。しかし、川島村は木曽川の中洲の村であり、交通手段が当時は渡船しかないこと、地域交流があまり盛んでないことなどがあり、最終的には前述の3村が合併で稲羽町になり、川島村は1956年に単独で町制施行、羽島郡川島町となった。後に平成の大合併で2004年11月1日、川島町は各務原市に編入された。当初の計画の稲羽町は、各務原市という形で計画どおりになったのである。
- 1956年、旧・各務郡を中心とした地域(鵜沼町、蘇原町、那加町、稲羽町、芥見村)での広域合併も計画されていたが、芥見村が岐阜市へ編入されたこと、各町が単独での存続を望んだこともあり、幻となっている。その後、単独存続を望んでいた4町が合併し各務原市が成立したのだが、この合併はかなり強引なものであったと言われている。以前ほどではないが、現在でも旧4町の町域でのつながりは強い。この各務原市の成立経緯については、この地を地盤とする世襲の政治家一族(元岐阜県知事、初代各務原市長、元衆議院議員、前衆議院議員を輩出)の影響ということも当時は噂された。
脚注
[編集]- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 110.
- ^ 岐阜県告示第590号
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年。ISBN 4-04-001210-0。