稲葉正恒
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永3年(1706年) |
死没 | 享保15年3月24日(1730年5月10日) |
別名 | 平佐衛門、玄蕃 |
諡号 | 剛節院(法号) |
墓所 | 東京都墨田区向島弘福寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 山城淀藩主 |
氏族 | 稲葉氏 |
父母 | 父:稲葉正倚、養父:稲葉正任 |
妻 | 毛利元次の娘 |
子 | 養子:正親 |
稲葉 正恒(いなば まさつね)は、山城淀藩の第3代藩主。正成系稲葉家宗家7代。官位はなし。通称は平佐衛門、玄蕃。
経歴
[編集]淀藩稲葉家分家の7000石の大身旗本である稲葉正倚(稲葉正則の次男)の三男。正室は毛利元次の娘。
正徳4年(1714年)11月25日、実父正倚の死去により、旗本稲葉家の家督を継ぎ、寄合に所属する。旗本稲葉家は常陸国新沼郡内なとで7000石を支配していた。享保元年(1716年)8月9日、将軍徳川吉宗に御目見する。
享保15年(1730年)1月14日、本家の先代藩主稲葉正任が早世したため、末期養子としてその跡を継いだ。旗本稲葉家は絶家となった。同年3月24日、25歳で死去した。家督は叔父の稲葉正直の家督2000石を継いでいた正親が継いだ。法号は剛節院。墓所は東京都墨田区向島の弘福寺。
系譜
[編集]父母
正室
- 毛利元次の娘
養子