立川氏
立川氏(たちかわし / たてかわし)は武蔵七党のひとつとされる西党に属する地方豪族。中世においては立河と書くことが多く、読みも「たてかわ」としていたようである。平安時代から戦国時代末期まで東京都立川市の南部を支配した。なお、児玉党に属す一族もあった。祖は立河宗恒。
略史
[編集]- 平安時代 宗家である西氏の対岸に位置する、立川南部の地頭となる。
- 鎌倉時代 『吾妻鏡』に立河氏の記載。また宝治合戦で戦死者を出したとされる。
- 1353年 普済寺を建立する。
- 1430年頃 永享の乱等の戦乱により、衰退する。
- 1455年 分倍河原の戦い (室町時代)で立河原合戦が起きた。享徳の乱が始まった。
- 1504年 立河原の戦いが起きる。長享の乱の事実上の決戦であった。
- 1550年頃 立川南部の支配を回復する。なおこの頃河越城の戦いで、後北条氏が勝利した。
- 1590年 後北条氏の滅亡により、八王子城下の立川氏は改易となる。
一説によると、徳川幕府により水戸藩への奉公を命ぜられ、移住したとされる。