立石方亮
立石 方亮(たていし ほうりょう、1897年(明治30年)7月21日[1][2] - 1957年(昭和32年)4月16日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧名・鹿熊。
経歴
[編集]熊本県出身[1][2][3]。熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業[1][2][3]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第80連隊付となる[1][3]。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を優等で卒業し歩兵第80連隊中隊長に就任した[1][2][3]。
1931年(昭和6年)3月、陸士教官となり、第14師団参謀、参謀本部員を務め、1934年(昭和9年)8月、歩兵少佐に昇進[1]。1935年(昭和10年)1月、ソビエト連邦駐在[1]。1937年(昭和12年)8月、兵科を航空兵に転科し航空兵少佐となり陸大教官に就任[1]。1938年(昭和13年)3月、航空兵中佐に進み、同年12月、トルコ大使館付武官に発令された[1]。1939年(昭和14年)8月、航空兵大佐に昇進し、同年12月、ブルガリア公使館付武官を兼任[1][2][3]。1943年(昭和18年)3月、陸軍少将に進級[1][2][3]。1946年(昭和21年)3月に復員した[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。