笛吹利明
笛吹 利明 | |
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生誕 | 1953年2月27日(71歳) |
出身地 | 日本 東京都 |
学歴 | 獨協大学 中退 |
ジャンル | J-POP ニューミュージック |
職業 | アコースティックギタリスト アレンジャー 音楽プロデューサー |
担当楽器 | アコースティック・ギター |
活動期間 | 1973年 - 現在 |
共同作業者 | 長渕剛 松山千春 |
公式サイト | 公式サイト |
笛吹 利明(うすい としあき、1953年2月 - )は日本のアコースティックギタリスト、アレンジャー、音楽プロデューサー。東京都品川区出身、在住[1]。
経歴
[編集]笛吹は自らを「根っからのサイドマン」と評する。アマチュア時代から自分がメインとして演奏する事は一度も考えたことがなく、メインアーティストよりも、横に立ってサポートするプレイヤーばかりに目(と耳)を奪われていたという。
1973年(昭和48年)より、スタジオミュージシャンとして多数のアーティストのレコーディングに参加。
1970年代の終盤、長渕剛と出会う。1979年(昭和54年)リリースの2ndアルバム『逆流』のレコーディングが初顔合わせだった。当初はアーティストと、そのレコーディングに呼ばれたスタジオミュージシャンの一人、という関係にすぎなかったが、1980年(昭和55年)の『乾杯』、1981年(昭和56年)の『Bye Bye』を経て、1982年(昭和57年)の6thアルバム『時代は僕らに雨を降らしてる』で「交差点」を長渕と連名で編曲を行う。この仕事を機に、二人は急速に親交を深め、やがて笛吹はコンサートツアーのサポートもスタートする。現在ではバックバンドのバンドマスターや音響監督を務め、長渕・笛吹自身にとって互いが必要不可欠な存在と言えるまでになっている。腱鞘炎を患った事などもあり2010年よりツアー同伴はなくなったものの、現在でも両者の交流は続いている。
浜田良美とユニット「スローダウン」を組むほか、オリジナルギターブランド「Shelly」のプロデューサーでもある。
スタジオミュージシャンとして携わったアーティスト
[編集]レコーディング
[編集]など
コンサートツアー
[編集]- 石川セリ
- 小田純平
- 2014「音楽にできること-花の遺言- 」
- 2015「音楽にできること-無くしたものを数えてみても- 」
- 2016「音楽にできること -生きるほどにー 」「 音楽にできること ~母のマフラー 」
- 2017「音楽にできること -散歌ー 」
- 2018-2019「音楽にできること ~愛しき人たちへ~」
- 2019「 音楽にできること ~新しい時代へ向けて」
- 2020-2021「~ 道 愛 歌 また一歩づつ ~」
- 2022「音楽にできること ~それぞれの明日へ~ 」
- 風
- 加藤登紀子
- 永井龍雲
- 長渕剛
- 1987「LICENSE」
- 1988「NEVER CHANGE」
- 1989「昭和」
- 1990-1991「JEEP」
- 1992「JAPAN」
- 1993「JAPAN」
- 1994「Captain Of The Ship」
- 1995「いつかの少年」
- 1996「KAZOKU」
- 1997-1998「ふざけんじゃねぇ」
- 1998-1999「SAMURAI」
- 2000「ONLY 2×2」an unplugged
- 2001-2002 「空 / SORA 」
- 2002「YOKOHAMA STADIUM」
- 2003「KEEP ON FIGHTING」
- 2004「桜島オールナイトコンサート」
- 2007「KANSAI SUPER SHOW 『太陽の船 』」
- 2009「「FRIENDS 」「 Countdown Live'09-'10 」 ・・・Sound Director として
- 2015「 富士山ふもとっぱらオールナイトライブ 」
- 松山千春
- 1980「魂燃やす時」他
- 1981「時代をこえて」他
- 1982-1983「今、失われたものを求めて」他