第二阪鶴丸
第二阪鶴丸(だいにはんかくまる)は、鉄道院が舞鶴境航路(舞鶴駅 - 境駅)で運航していた旅客船である。
同型船に阪鶴丸がある。
概略
[編集]舞鶴境航路は、1905年(明治38年)阪鶴鉄道によって開設された、山陰本線開業までの暫定航路である。当初は阪鶴丸のみの就航であったが、利用客の増加にともない毎日運航の要望が出されてきた。そこで新たに建造した船が本船である。大阪鉄工所へ発注されたが、1907年(明治40年)8月に阪鶴鉄道が国有化されたため、納入は鉄道院であり、1908年(明治41年)6月に竣工し、同年7月に舞鶴境航路に就航した。
1912年(明治45年)の余部橋梁完成に伴い、京都 - 出雲今市が開通すると、舞鶴境航路は廃止となる。この後第二阪鶴丸は、傭船として、青函航路などに就航していたが、1914年(大正3年)7月に運用を終えた。
船長
[編集]概要
[編集]- 総トン数: 864.9t
- 全長: 187.6ft
- 全幅: 28.0ft
- 出力: 502馬力
- 最高速力: 11.2kt
- 定員(旅客):
- 1等:8人
- 2等:41人
- 3等:250人
- 船舶番号11081[2]
脚注
[編集]- ^ 『官報』第7505号、明治41年7月3日。
- ^ 『日本船名録. 明治42年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)