紀元前621年
世紀 | 前8世紀 - 前7世紀 - 前6世紀 |
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十年紀 | 前640年代 前630年代 前620年代 前610年代 前600年代 |
年 | 前624年 前623年 前622年 紀元前621年 前620年 前619年 前618年 |
紀元前621年(きげんぜん621ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元133年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前621年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
[編集]できごと
[編集]- この頃、ドラコンが成文法を制定。
中国
[編集]- 晋の五軍のうち二軍を廃止した。狐射姑を中軍の将とし、趙盾を中軍の佐としたが、陽処父が両者の地位を入れ替えた。
- 晋の趙盾が執政をはじめた。
- 晋の襄公が死去したため、趙盾は公子雍を国君に迎えようとした。
- 晋の狐射姑がその弟の狐鞫居に命じて陽処父を殺害させた。狐鞫居は殺され、狐射姑は狄に亡命した。