紀淑望
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 延喜19年(919年) |
官位 | 従五位上・大学頭[1] |
主君 | 宇多天皇→醍醐天皇 |
氏族 | 紀氏 |
父母 | 父:紀長谷雄 |
兄弟 | 淑望、淑人、淑信、淑光、淑行、淑間、淑方、淑久、淑江 |
妻 | 池田維将娘 |
子 | 池田維実、理綱 |
紀 淑望(き の よしもち)は、平安時代前期の貴族・儒学者・歌人。中納言・紀長谷雄の長男。官位は従五位上・大学頭。
経歴
[編集]寛平8年(896年)文章生に補され、延喜元年(901年)式部少丞・平篤行を問者として方略試(対策)に応じ合格し、翌延喜2年(902年)民部少丞に任ぜられる。
民部大丞を経て、延喜6年(906年)従五位下・刑部少輔叙任される。醍醐朝において、刑部少輔・勘解由次官・大学頭を歴任し、皇太子・保明親王の東宮学士も兼ねた。またこの間、延喜12年(912年)に従五位上に叙せられている。延喜19年(919年)卒去。最終官位は大学頭従五位上。
勅撰歌人として、和歌作品が『古今和歌集』(1首)以後の勅撰和歌集に3首採録されている。なお、『古今和歌集』の真名序は淑望が執筆したものとされる。
官歴
[編集]『古今和歌集目録』による。
- 寛平8年(896年) 2月22日:文章生(花間理管弦、字○太)
- 時期不詳:秀才
- 昌泰3年(900年) 正月11日:備前権掾
- 延喜元年(901年) 8月16日:対策。 9月:及第
- 延喜2年(902年) 9月15日:民部少丞
- 延喜4年(904年) 日付不詳:民部大丞
- 延喜6年(906年) 正月7日:従五位下(省)。3月1日:刑部少輔
- 延喜7年(907年) 3月29日:勘解由次官
- 延喜9年(909年) 4月22日:大学頭
- 延喜10年(910年) 10月8日:兼東宮学士(皇太子:保明親王)
- 延喜12年(912年) 正月7日:従五位上(策労)
- 延喜13年(913年) 正月23日:兼信濃権介
- 延喜19年(919年) 日付不詳:卒去(大学頭従五位上)