細川光洋

細川 光洋
誕生 (1967-04-21) 1967年4月21日(57歳)
日本の旗 神奈川県横浜市
職業 文学者
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
民族 大和民族
教育 修士(教育学)
早稲田大学・1994年)
最終学歴 早稲田大学教育学部卒業
早稲田大学大学院教育学研究科
修士課程修了
早稲田大学大学院教育学研究科
博士課程単位取得退学
デビュー作 『寅彦をよむ』改訂版
(2008年)
所属 立教英国学院
桐蔭学園中学校
高知工業高等専門学校
静岡県立大学
テンプレートを表示

細川 光洋(ほそかわ みつひろ、1967年4月21日 - )は、日本国文学者日本近代文学・国語科教育法)、教育者学位修士(教育学)早稲田大学・1994年)。静岡県立大学国際関係学部教授大学院国際関係学研究科教授。

立教英国学院教諭桐蔭学園中学校教諭、高知工業高等専門学校総合科学科准教授などを歴任した。

概要

[編集]

日本近代文学や国語科教育法を専攻する国文学者である[1]吉井勇谷崎潤一郎寺田寅彦らの作品の研究で知られている[1]。中学校などで教鞭を執ったのち、高知工業高等専門学校静岡県立大学に転じ、研究と教育を行っている[2]

自身が専門とする文学を学ぶことについて、「言葉を通して先人たちから引き継いだ思考の『しぐさ』(知恵)を学ぶこと」[3]だと位置づけている。

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

1967年4月21日神奈川県横浜市にて生まれた[4]早稲田大学に進学し、教育学部の国語国文学科にて学んだ[5]1990年3月、早稲田大学を卒業した[5]。その後、早稲田大学の大学院に進学し、教育学研究科の国語教育専攻にて学んだ[5]1994年3月、早稲田大学大学院の修士課程を修了し[5]修士(教育学)学位を取得した[6]

教育者、研究者として

[編集]

大学院修了後は、立教英国学院中等部高等部にて、1994年9月より教諭として教壇に立った[2]1997年9月からは、桐蔭学園中学校桐蔭学園中等教育学校において教諭を務めた[2]2006年4月、高知工業高等専門学校において、総合科学科の准教授に就任した[2]2015年4月、静岡県立大学に転じ、国際関係学部教授に就任し[2]、主として国際言語文化学科の講義を担当する[7]。また、静岡県立大学大学院国際関係学研究科の教授を兼務し[7]、主として比較文化専攻の講義を担当する。2020年4月より、新設された静岡県立農林環境専門職大学にて生産環境経営学部講師を兼任し、主として生産環境経営学科の講義を担当した[8]

並行して母校である早稲田大学の大学院教育学研究科に進学し、2018年3月に博士課程を単位取得退学した[5]

研究

[編集]

専門は国文学であり、特に日本近代文学や国語科教育法といった分野の研究に従事していた[1]日本の近代文学に関しては、特に吉井勇、谷崎潤一郎、寺田寅彦の3名の作品を俎上に載せることが多い[1]。具体的には、吉井勇や斎藤茂吉などといった近代における歌人について研究している[9]。なお、吉井勇と湯川秀樹との交流についても調査しており、今まで知られていなかった湯川から吉井への書簡の内容を明らかにした[10][11]京都府立総合資料館が所有する吉井の遺品4500点を分析するなかで、消印が不鮮明で詳細な検証もされず未解明のまま放置されていた湯川からの封書や葉書に着目し、その詳細を明らかにした[10][11]。書簡の中には、敗戦後の京都を詠んだ歌など湯川の短歌も幾つか遺されていたが、そのうち4首は歌集にも収録されておらず新発見となった[10][11]。さらに、斎藤茂吉から吉井への葉書も幾つか発見したが[12]、そこには吉井の再婚を祝うとともに羨んでいる斎藤の歌が遺されていた[13]。なお、斎藤と吉井とのやり取りが直接確認できる資料は今まで全く見つかっておらず、これが史上初めての発見となった[13]。また、寺田寅彦が行っていた教育法に焦点をあて、文理融合教育や防災教育についての研究を行っている[9]。また、高知工業高等専門学校にて教鞭を執っていた際には、短歌の講義において、土佐弁の日常語を盛り込んだ「土佐弁短歌」づくりの指導に携わった[14]。また、『地震雑感津浪と人間――寺田寅彦随筆選集』の編纂が評価され[15]、高知県文教協会により2011年度の寺田寅彦記念賞に選出され[15]、2012年に授与されている[16]。また、2019年には静岡県立大学学長表彰を受けている[16]。さらに『吉井勇の旅鞄――昭和初年の歌行脚ノート』が評価され[4][17]、2022年に前川佐美雄賞が授与された[4][17]

これまでの業績を背景に、いくつかの文学賞にもかかわっている。本山町立大原富枝文学館が主催する大原富枝賞では高校生小説・随筆の部の最終選考委員を務めた[18]。同様に、高知県芸術祭文芸賞では短編小説の部の選考委員を務め、高知県短詩型文学賞では短歌の部の選考委員を務めた[18]

学術団体としては、日本近代文学会、昭和文学会、日本文学協会、谷崎潤一郎研究会、早稲田大学国語教育学会などに所属している[19]

略歴

[編集]

賞歴

[編集]

著作

[編集]

単著

[編集]
  • 細川光洋著『寅彦をよむ』改訂版、『心技』、2008年。全国書誌番号:21475671
  • 細川光洋著『吉井勇の旅鞄――昭和初年の歌行脚ノート』短歌研究社、2021年。ISBN 9784862726339

編纂

[編集]

解説、校訂等

[編集]

寄稿、分担執筆等

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 「専門分野」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース静岡県立大学
  2. ^ a b c d e f g h i 「主な経歴」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース静岡県立大学
  3. ^ 「教育・研究に対する考え方」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース静岡県立大学
  4. ^ a b c d 「第20回前川佐美雄賞・第30回ながらみ書房出版賞のお知らせ」『前川佐美雄賞・ながらみ書房出版賞 - ながらみ書房』ながらみ書房。
  5. ^ a b c d e f g h 「学歴」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース静岡県立大学
  6. ^ 「学位」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース静岡県立大学
  7. ^ a b c 「教員情報詳細」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース静岡県立大学
  8. ^ a b 静岡県立農林環境専門職大学『教員名簿』教員の氏名等-7頁。
  9. ^ a b 「主要研究テーマ」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース静岡県立大学
  10. ^ a b c 共同「湯川秀樹氏の書簡――短歌で京都の荒廃嘆く――終戦前後、吉井勇宛て」『湯川秀樹氏の書簡 短歌で京都の荒廃嘆く 終戦前後、吉井勇宛て  :日本経済新聞日本経済新聞社、2015年10月8日。
  11. ^ a b c 「湯川秀樹の書簡6通の詳細判明――戦争『心が悲しくなる』」『湯川秀樹の書簡6通の詳細判明 戦争「心が悲しくなる」(1/2ページ) - 産経ニュース産経デジタル、2015年10月12日。
  12. ^ 細川光洋「勝鬨のうづもよけれど――斎藤茂吉未発表書簡――吉井勇宛24通(1)――附吉井勇宛贈答歌一首」『短歌研究』71巻5号、短歌研究社、2014年5月、12-22頁。
  13. ^ a b 共同「斎藤茂吉のはがき24通発見――吉井勇の再婚うらやむ」『斎藤茂吉のはがき24通発見 吉井勇の再婚うらやむ ― スポニチ Sponichi Annex 社会スポーツニッポン新聞社、2014年4月30日。
  14. ^ 高知工業高等専門学校「『現代学生百人一首』に入選――『よう来たね』迎えてくれた祖母の手に皺の数だけやさしさ見える」『高知工業高等専門学校(NEWS)』高知工業高等専門学校、2008年2月8日。
  15. ^ a b 「寺田寅彦記念賞受賞一覧」『・寺田賞 受賞一覧 - 高知県文教協会』高知県文教協会。
  16. ^ a b c d 「受賞歴」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース静岡県立大学
  17. ^ a b c 「国際関係学部細川教授――吉井勇研究により第20回前川佐美雄賞を受賞」『国際関係学部細川教授 吉井勇研究により第20回前川佐美雄賞を受賞 | ニュース | 静岡県公立大学法人 静岡県立大学静岡県立大学、2022年4月11日。
  18. ^ a b 「主な社会活動」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース静岡県立大学
  19. ^ 「所属学会」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース静岡県立大学
  20. ^ ながらみ書房『ながらみ書房さんはTwitterを使っていますツイッター、2022年4月6日。

関連人物

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]