総裁

総裁(そうさい)とは、(まつりごと)に携わる政府機関政党公団などにおいて最終決裁権を持つ代表職の名称。

元々は、後述する幕末の江戸幕府の役職名として使用され、その後、明治時代における新政府の長の名称として用いられ、以後様々な組織や団体における「長」たる職の名称として用いられている。また、諸外国における英語directorまたはpresidentに相当する語の訳語として用いられている。

江戸幕府

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幕末文久2年(1862年)、勅命により幕政改革が実施された(文久の改革)。将軍の補佐役である将軍後見職徳川慶喜(当時の姓は「一橋」)、大老に相当する政事総裁職松平慶永京都所司代の上にあって京都の治安維持にあたる京都守護職松平容保をそれぞれ任命した。この「政事総裁」が、字が役職に用いられた最初の例と見られる。

さらに、慶応2年(1866年)には、最後の将軍・徳川慶喜によって、幕政改革が行われ(慶応の改革)、この改革で老中は各省大臣のように専任制となり、陸軍総裁海軍総裁国内事務総裁外国事務総裁会計総裁がおかれた。明治元年(1868年)、勝海舟が第2代陸軍総裁に就き、江戸城無血開城を主導した。

幕府自体ではないが、明治元年12月(1869年1月)、蝦夷地箱館)において一部の旧幕臣が政府(いわゆる蝦夷共和国)を組織するために選挙(公選入札)をおこない、その結果、最多得票を得た榎本武揚が「総裁」となっている。

明治政府

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明治政府
総裁
そうさい
任命天皇
明治天皇
創設慶応3年12月9日
1868年1月3日
初代有栖川宮熾仁親王
廃止明治元年閏4月21日
1868年6月11日
職務代行者副総裁
三条実美岩倉具視
俸給月額 1000両

慶応3年12月9日(1868年1月3日)、王政復古の大号令が発表され、明治維新の政体改革が始められた。摂政関白を中心とする摂関政治と、征夷大将軍を中心とする幕府政治を廃し、「総裁」・「議定」・「参与」の「三職」を設置し、諸事神武創業の昔への復帰などを宣言し、天皇中心の新政府樹立を目指した。「総裁」は、三職の最高官職として、「萬機ヲ統ヘ、一切ノ事務ヲ裁決ス」[1]とされて政務を統括し、有栖川宮熾仁親王が就任した。月給は金1000両と定められた(明治元年3月制定。なお、議定は金800両、参与は金500両)。

三職は、小御所会議三職会議)を開催して、徳川慶喜の辞官納地(内大臣の辞任と領地の一部返納)などを決定した。その後、総裁の熾仁親王が、すぐに戊辰戦争における東征大総督として関東に出征してしまったため、実際には政務の中心となることはなかった。翌明治元年1月17日、三職の下に神祇・内国・外国・海陸軍・会計・刑法・制度の七科を置いて三職七科とし、同年2月3日には科を局として総裁局を設置し三職八局とした。また、このとき、総裁局に副総裁を置いて三条実美岩倉具視をこれに任命し、実際の政務を執ることとなった。副総裁の月給は、総裁に準じて金1000両と定められた。

明治元年閏4月21日(1868年6月11日)、五箇条の御誓文に基づく政治の基本組織を定めた政体書を発表した。政体書では、太政官を中心とした政治体制を採り、それまでの総裁をはじめとする三職は開始から半年足らずで廃止された。

官庁

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官庁における役職名としての総裁は以下がある。

また、戦前から終戦直後においては、「本部」「庁」の長を総裁とする例(経済安定本部、特別調達庁など)もあり、「本部」が、内閣総理大臣直轄で設置される場合は総理大臣が、各省に設置される場合は各省大臣が総裁となっていた。なお、後に防衛施設庁となった特別調達庁(Government Corporation=政府公団)の場合は、当初より国家行政組織では無く、GHQの指示で政府部局に編入された後も公社化に至らず、防衛省への統合で廃止された。

法人・機関

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公的な任務を帯びた特殊法人や、特殊会社の長の役職名として総裁の名が使われることが多い。現存する法人・機関における役職名としての総裁は以下がある。

これ以外の、下記の役職は機関ごと廃止消滅している。

その他、中国企業の社長の肩書きとして「総裁」という表記が用いられる(日本語の「社長」は、中国語では「総裁」と訳されるため)。

皇族

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明治期以来、皇族を組織の長に奉戴する場合に「総裁」と称した。第二次世界大戦後は「名誉総裁」として式事・表彰・視察などの務めを果たす形が残っている。皇族を総裁や名誉総裁、またはそれらに類する形で奉戴しているのは以下がある。

[2]
上皇后美智子
今上天皇
皇后
秋篠宮文仁親王
文仁親王妃紀子
佳子内親王
常陸宮正仁親王
正仁親王妃華子
崇仁親王妃百合子
寬仁親王妃信子
彬子女王
瑶子女王
  • 一般財団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会総裁
  • 社会福祉法人友愛十字会総裁
憲仁親王妃久子

政党

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政党党首の名称としての総裁は以下がある。戦前の日本の政党の党首名は総裁が多かった。

本土復帰後は自由民主党沖縄県支部連合会(略して「自民党沖縄県連」)、及びその「会長」となった。
結党当初から党代表として党首職があったが、大川隆法の選挙出馬宣言により、上位に総裁職が設けられた。しかし、一時は「名誉総裁」となり、2012年12月27日より代表権のない総裁職になっている。
当初「総裁」であったが、現在は会長となっている。
赤尾敏が死去後、「党首」という名称に変わった。
公事結社大政翼賛会の傘下にあった一国一党的政治団体で、翼賛会と同じく、トップは総裁であった。

日本以外の政党

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国際機関

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諸外国の組織・国際機関の役職名の訳語として総裁という名称が用いられているのは以下の通り。

宗教団体

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宗教法人宗教団体等における役職名としての総裁は以下がある。

現任は前神宮祭主池田厚子
首座主教 - 米国聖公会などの首座主教に総裁主教との訳語を当てることがある[3]
当初「主宰」という肩書であったが、1997年より総裁と呼ばれている。

企業・民間団体

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企業・民間団体における役職名としての総裁には、以下がある。

名誉職で、政財界の実力者が就任する。
民間の顕彰団体である。歴代総裁は旧皇族などが歴任している。
旧制時代の日本大学に存在した役職[4][5]
代表取締役社長とは別に、総裁を置いている。

武道・格闘技団体

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武道格闘技団体における役職名としての総裁には、以下がある。

空手道団体の国際空手道連盟極真会館は、極真空手を推進・普及させる目的において表裏一体である。
  • 世界空手道団体連合
  • 空手オリンピック国際委員会(任意団体)
  • 世界格闘技団体連合

朝堂院大覚はこれら3団体の代表「総裁」を務めると称している。

暴力団

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暴力団における役職名としての総裁は西宮の諏訪健治が最初に名乗ったとされる[6]が、他組織では以下がある。

かつては以下に列挙する組織も総裁の役職があった。

フィクション

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科学忍者隊ガッチャマン』シリーズで、世界征服を企む秘密結社ギャラクターの正体不明の最高指導者として総裁X(エックス)および総裁Z(ゼット)が登場する。

また、ライトノベルでは、グループ企業各社の社長や会長の上に立つ、持株会社のオーナー社長の職名としても登場する。

脚注

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  1. ^ 内閣『単行書・太政官沿革志六』、ref.A04017226400(国立公文書館)。
  2. ^ 宮内庁 皇室 ご略歴
  3. ^ 立教大学プレスリリース
  4. ^ 第3代総長 山岡 萬之助|日本大学の歴史
  5. ^ 第4代総長 呉 文炳|日本大学の歴史
  6. ^ 『週刊金曜日』№620~636、株式会社金曜日2006年。

関連項目

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