美濃駅
美濃駅* | |
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駅舎(1995年8月) | |
みの MINO | |
◄松森 (1.6 km) | |
所在地 | 岐阜県美濃市広岡町 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 美濃町線 |
キロ程 | 24.8 km(徹明町起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 頭端式 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- | 964人/日 -1992年[1]- |
開業年月日 | 1911年(明治44年)2月11日[2] |
廃止年月日 | 1999年(平成11年)4月1日[2] |
備考 | * 改称経歴 - 1911年 上有知駅→美濃町駅 - 1923年 美濃町駅→新美濃町駅 - 1954年 新美濃町駅→美濃駅 |
美濃駅(みのえき)は、かつて岐阜県美濃市広岡町にあった[2][3][4]、名古屋鉄道美濃町線の駅である。
概要
[編集]美濃町線新関駅 - 当駅間の部分廃止により、1999年(平成11年)4月1日に廃駅となった[2]。比較的早期に廃止が決定されたためか、駅名には最後までCIロゴが入らなかった。同線の廃止後、2005年(平成17年)4月1日の美濃町線全廃までは新関駅 - 関駅間に長良川鉄道越美南線への連絡を図るための路線が設けられ、関駅 - 美濃市駅間においては越美南線を代替交通機関とさせていた。
歴史
[編集]長良川の中流域に位置する
その後1923年(大正12年)には当地に国鉄越美南線(現在の長良川鉄道越美南線)が進出。同線に美濃町駅(現在の美濃市駅)が開業すると、当駅は国鉄との連絡を企図してさらに移転、駅名も新美濃町駅(しんみのまちえき)に改めた[6][8]。駅名が美濃駅になるのは1954年(昭和29年)のことで、同年に美濃町が合併し美濃市が誕生したことをうけての改称であった[7][8]。1970年(昭和45年)には岐阜市内で田神線が開通、当駅からも同線を経由して新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)まで直通列車が運転されるようになったが、定時運行に難があったため乗客がバスや自動車利用に移行してしまう[8]。押し寄せるモータリゼーションの波には逆らえず、路線の末端で利用の少ない区間であった美濃町線の新関駅から当駅までの区間は他の区間に先立ち1999年(平成11年)に廃止され、当駅も廃駅となった。
年表
[編集]- 1911年(明治44年)
- 1923年(大正12年)10月1日 - 再移転の上、新美濃町駅(しんみのまち)に改称[7]。駅舎が供用を開始する(現存)[2]。
- 1930年(昭和5年)8月20日 - 美濃電気軌道が名古屋鉄道(初代。同年中に名岐鉄道に改称し、1935年より名古屋鉄道に再改称)に合併。同社の美濃町線の駅となる[7]。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 美濃駅に改称[7]。
- 1970年(昭和45年)6月25日 - 新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)までの急行を運転開始。
- 1975年(昭和50年)9月16日 - 急行運転を廃止[7]。
- 1983年(昭和58年)6月15日 - 新関駅までの区間を昼間ワンマン運転化[7]。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 美濃町線の新関駅 - 当駅間の廃止に伴い廃駅[9]。
- 2005年(平成17年)2月9日 - 駅本屋およびプラットホーム・線路が国の登録有形文化財として登録される(官報での告示は同年2月28日)[10][11]。
駅構造
[編集]木造駅舎を有していた。頭端式ホーム2面2線を持ち、新関方左手に電留線が3本あった[12]。かつては電留線の場所に車庫があり、美濃町線の日常検査を行う美濃町分庫だったが、昭和30年代に検車業務が岐阜工場に集約された[13]。
ホームにはモ510形512号(2015年(平成27年)3月12日から2016年(平成28年)2月27日まで黒野駅に貸出[14][15])およびモ600形601号、モ590形593号(この車両のみ座席も残されている)[4]、モ870形876号(この車両のみカットボディ)が静態保存されている[16]。かつてはホーム外側に貨物用の線路が敷かれ、2面4線の構造であった[12]。
旧駅舎は「Q企画 のりものや」という鉄道・バスグッズ店が中心に管理する記念館(「のりものや美濃駅」)となり、鉄道関連グッズや書籍が販売されていたが、2013年(平成25年)2月末日をもって撤退した(「Q企画」はイベントの企画団体として存続[3])。現在、駅舎などの保存・管理は保存会が行っている[4]。2019年(令和元年)5月には、旧駅舎前に美濃市出身の歌手、野口五郎が歌った「私鉄沿線」の歌碑が建てられた。なお、野口のデビュー50周年を記念して発売された「光の道」(コブクロ小渕健太郎が作詞作曲)[17]のミュージックビデオは、旧駅舎で収録されている[3]。
配線図
[編集] ← 新関方面 | ||
凡例 出典:[18] |
利用状況
[編集]- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年(平成4年)度当時の1日平均乗降人員は964人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中225位、 美濃町線日野橋 - 美濃間(14駅)中2位であった[1]。
駅周辺
[編集]隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ a b c d e f 杉崎行恭『旅鉄BOOKS 025 木造駅舎紀行200選』山と渓谷社、2020年3月10日、86頁。ISBN 978-4-635-82209-1。
- ^ a b c “野口五郎さんや昭和の五輪の映像 旧名鉄美濃駅で展示と物販会”. 中日新聞Web. (2020年7月24日). オリジナルの2020年9月15日時点におけるアーカイブ。 2022年1月30日閲覧。
- ^ a b c “昭和の復刻車両ライトアップ 旧名鉄美濃駅、鉄道ファンら撮影”. 岐阜新聞Web. (2021年10月12日). オリジナルの2021年12月14日時点におけるアーカイブ。 2022年1月30日閲覧。
- ^ a b 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、20-21頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b c 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、32頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b c d e f g h i j 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、219-230頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b c 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、173-176頁。ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、51-52頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 旧名鉄美濃町線美濃駅本屋 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 旧名鉄美濃町線美濃駅プラットホーム及び線路 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、185-186頁。ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 下巻』アルファベータブックス、2019年、146頁。ISBN 978-4865988482。
- ^ “黒野駅に名鉄電車が帰ってきた!!”. 大野町 (2015年4月24日). 2015年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月7日閲覧。
- ^ “赤い電車お別れ会” (PDF). 黒野駅レールパーク (2016年2月27日). 2016年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月17日閲覧。
- ^ ぎふの旅ガイド 旧名鉄美濃駅 - 岐阜県観光連盟
- ^ “野口五郎50周年記念アルバムは13曲録り下ろし”. 日刊スポーツ. (2020年6月5日) 2022年1月30日閲覧。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 旧名鉄美濃線美濃駅 - 美濃市教育委員会人づくり文化課
- 旧美濃駅保存会 直売店お休み (@minoeki600vPR) - X(旧Twitter)
- 旧名鉄美濃町線美濃駅本屋 - 国指定文化財等データベース(文化庁)