美里町 (熊本県)
みさとまち 美里町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 熊本県 | ||||
郡 | 下益城郡 | ||||
市町村コード | 43348-9 | ||||
法人番号 | 4000020433489 | ||||
面積 | 144.00km2 | ||||
総人口 | 8,288人 [編集] (推計人口、2024年12月1日) | ||||
人口密度 | 57.6人/km2 | ||||
隣接自治体 | 宇城市、八代市、上益城郡御船町、甲佐町、山都町 | ||||
美里町役場 | |||||
町長 | 上田泰弘 | ||||
所在地 | 〒861-4492 熊本県下益城郡美里町馬場1100番地 北緯32度38分22秒 東経130度47分20秒 / 北緯32.63958度 東経130.78886度座標: 北緯32度38分22秒 東経130度47分20秒 / 北緯32.63958度 東経130.78886度 中央庁舎 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 役場位置は中央庁舎のもの。 | ||||
ウィキプロジェクト |
美里町(みさとまち)は、熊本県の中央部にある町。下益城郡に属する。
地理
[編集]美里町は熊本県の中央部、熊本市から南東約30kmの場所に位置する。北西部(旧中央町の中心部)には熊本盆地の南端にあたる平地があるが、町の約8割近くが山地・森林である。町域の南部は九州山地の一角を占めており、甲佐岳、雁俣山、京丈山などの標高1000m級の山が連なっている。町内を緑川、釈迦院川などの河川が流れ、町の北東部には緑川ダムがある。
隣接している市町村
[編集]地名
[編集]- 旧中央町
- 岩下(旧中山村)
- 大沢水(旧中山村)
- 堅志田(旧中山村)
- 萱野(旧中山村)
- 木早川内(旧中山村)
- 小市野(旧中山村)
- 白石野(旧中山村)
- 津留(旧中山村)
- 中郡(旧中山村)
- 中小路(旧中山村)
- 原田(旧中山村)
- 馬場(旧中山村)
- 松野原(旧中山村)
- 小筵(旧年祢村)
- 坂本(旧年祢村)
- 佐俣(旧年祢村)
- 椿(旧年祢村)
- 中(旧年祢村)
- 長尾野(旧年祢村)
- 払川(旧年祢村)
- 下草野(旧年祢村、一時期砥用町に属していた。)
- 旧砥用町
- 安部
- 石野
- 大窪
- 柏川
- 清水
- 栗崎
- 古閑
- 境
- 三加
- 土喰
- 永富
- 名越谷
- 二和田
- 早楠
- 原町
- 三和
- 畝野(旧東砥用村)
- 大井早(旧東砥用村)
- 川越(旧東砥用村)
- 甲佐平(旧東砥用村)
- 遠野(旧東砥用村)
- 豊富(旧東砥用村)
- 洞岳(旧東砥用村)
- 涌井(旧東砥用村)
- 今(旧年祢村→中央村)
- 岩野(旧年祢村→中央村)
- 坂貫(旧年祢村→中央村)
歴史
[編集]近現代
[編集]- 1876年 現在の町域に当たる村のうち、合併により以下の村々が成立。
- 中郡村(池田村・高木村・上神園村・下神園村)
- 洞岳村(山出村・藤木村・下福良村・夏水村・天ヶ瀬村・戸屋村)
- 大井早村(大辻村・勢井村・越早村)
- 畝野村(金木村・内園村・迫村・水上村)
- 遠野村(岩上村・興正寺村・権正村・北野村)
- 川越村(小崎村・用来村・貫平村)
- 豊富村(桑津留村・福良村)
- 涌井村(竹迫村・庵室村・峙原村)
- 清水村(内山村・桑木野村)
- 永富村(津留村・河原畠村・御前浜村・舞鹿野村・一谷村・越早津村)
- 境村(目磨村・九折原村)
- 三加村(田中村・下田村・岩尾野村)
- 三和村(長野村・常海原村・北村)
- 二和田村(小長野村、小夏村)
- 安部村(安懸村・口原村・久立村)
- 1889年4月1日 町村制実施に伴い、現在の町域にあたる以下の村が発足。
- 下益城郡
- 中山村(中郡村・堅志田村・馬場村・大沢水村・中小路村・岩下村・原田村・萱野村・津留村・白石野村・木早河内村・小市野村・松野原村)
- 年禰村(長尾野村・小筵村・岩野村・椿村・払川村・坂本村・佐俣村・中村・下草野村・今村・坂貫村)
- 西砥用村(清水村・永富村・境村・三加村・三和村・二和田村・安部村・石野村・柏川村・原町村・大窪村・名越谷村・土喰村・栗崎村・古閑村・早楠村)
- 東砥用村(甲佐平村・洞岳村・大井早村・畝野村・遠野村・川越村・豊富村・涌井村)
- 下益城郡
- 1924年4月1日 西砥用村が町制施行し、砥用町となる。
- 1955年1月1日 中山村と年祢村が対等合併し、中央村が発足。
- 1955年4月1日 砥用町(初代)と東砥用村が新設合併し、砥用町(2代目)が発足。
- 1955年7月 中央村のうち、今、坂貫、下草野、岩野の一部(字・九尾)を砥用町に編入。
- 1957年7月 砥用町のうち、下草野を中央村へ分離。
- 1975年1月1日 中央村が町制施行し、中央町となる。
- 2004年11月1日 中央町と砥用町の新設合併により美里町が発足。
- 2024年11月1日 町歌「美しい里 美里町」を制定[1]。
行政
[編集]- 町長:上田 泰弘
- 2004年(平成16年)11月1日の合併から分庁舎方式を採用していたが、合併10年を迎え中央庁舎を本庁舎とした。砥用庁舎は以下の通り。
- 所在地:〒861-4732 熊本県下益城郡美里町三和420
経済
[編集]産業
[編集]2004年度町内総生産 271億円
地域
[編集]人口
[編集]美里町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 美里町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 美里町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
美里町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
教育
[編集]中学校
[編集]美里町立
- 中央中学校
- 砥用中学校
小学校
[編集]美里町立
- 中央小学校 - 1999年(平成11年)に中央町立中央東、中央西、中央南、中央北の4小学校が統合し現名。大正期の払川小学校時代には高群逸枝が教員、逸枝の父が校長を務めた[2]。
- 砥用小学校 - 1874年(明治7年)開校。公立原町小学校、初等中学鶴水小学校、尋常西砥用小学校、砥用尋常高等小学校、砥用国民学校と改称し、1947年(昭和22年)より現在の校名[3]。高群逸枝が代用教員をしていた[2]。
- 励徳小学校
交通
[編集]空港
[編集]- 最寄り空港は熊本空港(阿蘇くまもと空港)。
鉄道
[編集]バス
[編集]現在は町内に発着する高速バスはない。
- 産交バス
- 熊本バス
- 熊本市(熊本桜町バスターミナル) - 御船町(豊秋) - 甲佐町 - 美里町 - 山都町(浜町)
- 熊本市(熊本桜町バスターミナル) - 御船町(銀行前) - 甲佐町 - 美里町
- 麻生交通 - 2009年4月に熊本バスから「氷川ダム線」「小市野線」を譲渡され運行する。
- 甲佐町 - 美里町 - 八代市(泉町・氷川ダム)
- 甲佐町 - 美里町(鶴場)
- コミュニティバス「美里バス」[4] - 2018年10月1日運行開始[5]。
道路
[編集]一般国道
[編集]一般県道
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 若宮神社 - 下益城郡美里町馬場605
- 穂積阿蘇神社 - 下益城郡美里町三和10
- 佐俣阿蘇神社 - 下益城郡美里町佐俣548
- 霊台橋
- 霊台橋を筆頭に町内には大小合わせて30以上の石橋がある。
- 日本一の石段 - 釈迦院御坂遊歩道。釈迦院への参道。3,333段。
- 堅志田城跡
- 新春霊台橋マラソン大会
- 1月1日に開催されるマラソン大会。町外からの参加者も多い。
出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ “美里町合併20周年記念式典 「町歌(まちのうた)」を中学生の合唱で披露”. KKT NEWS NNN (熊本県民テレビ). (2024年11月3日) 2024年12月28日閲覧。
- ^ a b 「女性史研究 : 第7集 (1978.12.1)特集「高群逸枝写真集」」『女性史研究』、家族史研究会、1978年、NCID AN0011853X。
- ^ 学校の沿革美里町立砥用小学校
- ^ 「美里バス」の記事一覧 熊本県美里町
- ^ 美里町に新しい公共交通が生まれました! 熊本県美里町、2018年9月28日
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 美里町 (熊本県)に関連する地理データ - オープンストリートマップ