腰物奉行

腰物奉行(こしものぶぎょう)は、江戸幕府における職名の1つ。御腰物奉行とも書かれる。古くは御腰物頭御腰物番頭と呼ばれた。

将軍の佩刀や装身具、および諸侯から献上された刀剣や、諸侯に下賜する太刀脇差などの一切を掌る[1]

若年寄支配で、定員2名。家格が200から1000石の者が選ばれ、焼火之間詰。配下に組頭(役料100俵)2人、腰物方(200俵高)15 - 16人がおり、他に腰物持と、腰物奉行同心が10人属した[2][1]

刀剣の試し斬り

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刀の試し斬りも担当したが、実際の試刀は山田浅右衛門に依頼して、死罪と決定された罪人を斬らせることで行った。牢屋奉行などと共に立会い検分をした後、刀の切れ味を将軍に報告した。

試し斬りを拝命して、これを町奉行に伝え、協議して日時を決める。斬首の執行はすべて牢屋敷に行なわれた[3]

沿革

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承応2年(1653年)10月15日に押田三次郎がこの職に就いたのが始まり[2]

寛文6年(1666年)には役料400俵であったが、天和2年(1682年)に廃止。享保8年(1723年)700石高の職となる[2]

元禄14年(1701年)、腰物頭は腰物奉行に、それまで腰物奉行と呼ばれていた職務は腰物方に、それぞれ改称[2][4]

慶応2年(1866年)に、腰物方とともに腰物奉行は廃職となり、その職務は納戸方が兼務することとなった[2]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 安藤雄一郎 丹野顯 加唐亜紀『江戸の武士』 廣済堂、98頁。
  2. ^ a b c d e 川口謙二、池田孝、池田政弘『江戸時代奉行職事典』東京美術選書、36頁。川口謙二、池田孝、池田政弘『江戸時代役職事典』東京美術選書、182頁。
  3. ^ 横倉辰次 『江戸牢獄・拷問実記』 雄山閣、61頁。
  4. ^ 藤井讓治『江戸時代の官僚制』法藏館、182頁。

参考文献

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  • 安藤雄一郎 丹野顯 加唐亜紀 『江戸の武士 仕事と暮らし大図鑑』廣済堂 ISBN 978-4-331-80357-8
  • 川口謙二、池田孝、池田政弘『江戸時代奉行職事典』東京美術選書 1983年 ISBN 4-8087-0139-1
  • 川口謙二、池田孝、池田政弘『江戸時代役職事典』東京美術選書 1981年 ISBN 4-8087-0018-2
  • 藤井讓治『江戸時代の官僚制』法藏館 ISBN 978-4-8318-2652-7 2023.9
  • 横倉辰次 『江戸牢獄・拷問実記』 雄山閣 ISBN 4-639-01812-6