若國一男
若國 一男(わかくに かずお、1927年〈昭和2年〉2月23日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日[1])は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元力士。本名は佐藤 一男(さとう かずお)。現在の東京都昭島市出身。身長169cm、体重83kg。最高位は西十両11枚目。得意技は右四つ、寄り。
経歴
[編集]1942年(昭和17年)1月場所に初土俵。1950年(昭和25年)9月場所に若國の四股名で十両昇進。4場所務めたのち幕下に陥落。1954年1月場所に國若の四股名で十両に復帰し4場所務めた。1955年1月場所に再び幕下に陥落すると、一度も勝ち越せずに番付を下げていき、1956年(昭和31年)1月場所に28歳で廃業した。1989年(昭和64年)1月7日に61歳で逝去した。奇しくも、昭和最後の日であった。
主な成績
[編集]- 通算成績:186勝204敗 勝率.477
- 十両成績:54勝66敗 勝率.450
- 現役在位:39場所
- 十両在位:8場所
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1942年 (昭和17年) | (前相撲) | x | (前相撲) | x | ||
1943年 (昭和18年) | 西序ノ口28枚目 4–4 | x | 西序二段75枚目 5–3 | x | ||
1944年 (昭和19年) | 東序二段28枚目 3–5 | x | 西序二段30枚目 4–1 | 東三段目39枚目 3–2 | ||
1945年 (昭和20年) | x | x | 西三段目9枚目 2–3 | 東三段目6枚目 3–2 | ||
1946年 (昭和21年) | x | x | 国技館修理 のため中止 | 東幕下20枚目 3–4 | ||
1947年 (昭和22年) | x | x | 東幕下29枚目 3–2 | 西幕下18枚目 2–4 | ||
1948年 (昭和23年) | x | x | 東幕下23枚目 3–3 | 東幕下22枚目 3–3 | ||
1949年 (昭和24年) | 東幕下21枚目 6–6 | x | 西幕下18枚目 10–5 | 西幕下5枚目 5–10 | ||
1950年 (昭和25年) | 西幕下13枚目 8–7 | x | 西幕下8枚目 11–4 | 西十両12枚目 7–8 | ||
1951年 (昭和26年) | 西十両13枚目 8–7 | x | 西十両11枚目 5–10 | 西十両16枚目 6–9 | ||
1952年 (昭和27年) | 東幕下3枚目 8–7 | x | 東幕下2枚目 6–9 | 西幕下5枚目 6–9 | ||
1953年 (昭和28年) | 東幕下8枚目 7–8 | 東幕下9枚目 5–3 | 西幕下6枚目 6–2 | 西幕下2枚目 6–2 | ||
1954年 (昭和29年) | 西十両18枚目 7–8 | 東十両19枚目 8–7 | 西十両18枚目 6–9 | 西十両22枚目 7–8 | ||
1955年 (昭和30年) | 東幕下筆頭 2–6 | 西幕下8枚目 2–6 | 東幕下14枚目 3–5 | 西幕下16枚目 1–7 | ||
1956年 (昭和31年) | 東幕下30枚目 引退 2–6–0 | x | x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 佐藤 一男(さとう かずお)1942年1月場所 - 1942年5月場所
- 若國 一男(わかくに かずお)1943年1月場所 - 1951年9月場所
- 國若 一男(くにわか かずお)1952年1月場所 - 1954年9月場所
- 司山 一男(つかさやま かずお)1955年1月場所 - 1955年3月場所
- 國若 一男(くにわか かずお)1955年5月場所 - 1956年1月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 若國 一男 - 相撲レファレンス