茂山あきら

茂山 あきら(しげやま あきら、1952年6月12日 [1]- )は、日本狂言大蔵流能楽師重要無形文化財保持者(総合認定)。本名は茂山 晃(しげやま あきら)[1]京都府文化功労賞受賞者。

しげやま あきら
茂山 あきら
本名 茂山 晃(しげやま あきら)
生年月日 (1952-06-12) 1952年6月12日(72歳)
出身地 日本の旗 日本京都府
職業 狂言方大蔵流能楽師
活動期間 1956年- 現在
活動内容 1956年、初舞台
1975年、「三番三」、「釣狐」を披く
1981年、ジョナ・サルズと共に「能法劇団」を立ち上げる。
1994年、「花子」を披く
配偶者 茂山絹世[2]
著名な家族 祖父: 三世茂山千作(人間国宝・日本芸術院会員)
伯父:四世茂山千作(人間国宝・日本芸術院会員・文化勲章)
父:二世茂山千之丞
長男:三世茂山千之丞
従兄:二世茂山七五三(人間国宝)
公式サイト お豆腐狂言 茂山千五郎家
受賞
京都府文化功労賞
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来歴

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1952年に 二世茂山千之丞の長男として生まれる[3]。父および祖父の三世茂山千作に師事し、1956年、3歳の時に狂言「以呂波」のシテにて初舞台を踏む[3][4]。 1975年に「三番三」、「釣狐」を披く[3]。 1994年、「花子」を披く[3]

1976年に「花形狂言会」を発足させ、従兄の正義(後の五世千作)、眞吾 (後の二世七五三)兄弟とともに主宰する[4]。古典狂言のみならず、小松左京によるSF狂言「狐と宇宙人」(1979年初演)[5]、「木竜うるし」(1978年初演)[6]、「死神」(1981年初演)[7]などの新作狂言や、千年振りの復曲「袈裟求」[8]などを演じてきた。1999年に「花形狂言会」を卒業[4]

また、父の影響を受けテレビ、ラジオ、新劇、実験劇に多数参加してきた。1981年にはジョナ・サルズと共に「NOHO(能法)劇団」を立ち上げ、以後西洋の現代劇と日本の古典芸能を融合した劇を上演する[3]。2001年に狂言と新作落語のコラボレーションを行う「お米とお豆腐」を結成[3]し、桂米朝一門の 桂文之助、作家の小佐田定雄とともに活動する[9]

2013年、京都府文化賞功労賞受賞[10]

2017年に、京都の劇場文化、地域文化の再生・発信を目的に一般社団法人アーツシード京都を代表理事あごうさとしらとともに立ち上げ[11]、2019年6月オープンの劇場「THEATRE E9 KYOTO」の館長に就任した[12]

脚注

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  1. ^ a b 油谷光雄 編『狂言ハンドブック』(改訂版)三省堂、2000年11月、91頁。ISBN 4385410437 
  2. ^ ないしょの京都 奥の院へ”. 世界文化社グループ. 2024年5月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 能狂言インタビュー 大蔵流 狂言方 茂山あきら」『KENSYO』第85巻、SECTOR88、2011年。 
  4. ^ a b c アーティストインタビュー 茂山 あきら (狂言師)”. 小原啓渡執筆集. ART COMPLEX. 2024年5月19日閲覧。
  5. ^ 「キツネと宇宙人」六〇周年 <大蔵流狂言「狐と宇宙人」>”. 小松左京ライブラリ (2024年1月19日). 2024年5月19日閲覧。
  6. ^ 木竜うるし”. 能楽タイムズ上演データベース. 2024年5月19日閲覧。
  7. ^ 千五郎狂言会 第11回”. 森崎事務所. 2024年5月19日閲覧。
  8. ^ 新猿楽記』の「福広の聖が袈裟求め」に題を得た作品。織田正吉作、茂山千之丞演出。油谷光雄 編『狂言ハンドブック』(改訂版)三省堂、2000年11月、36頁。ISBN 4385410437 
  9. ^ お米とお豆腐”. お豆腐狂言 茂山千五郎家. 2024年5月19日閲覧。
  10. ^ 「第31回京都府文化賞」の受賞者の決定及び授賞式の開催について”. 京都府. 2024年5月19日閲覧。
  11. ^ 私たちについて”. 一般社団法人 アーツシード京都. 2024年5月19日閲覧。
  12. ^ 「THEATRE E9 KYOTO オープニングプログラム 2019-2020」発表”. artscape (2019年4月15日). 2024年5月19日閲覧。

外部リンク

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