荊浩

匡廬図

荊 浩(けい こう、生没年不詳)は、中国末・五代後梁の山水画家である。は浩然。孟州済源県の出身。華北山水の祖とされる。中原の混乱を避け、太行山中の洪谷山(現在の河南省安陽市林州市)に隠れ住んだといわれる。唐代において発展を遂げた、華北の呉道玄の筆線と、江南の項容の水墨による山水画表現を統合し、以降の華北山水画隆盛の基礎を作り上げたと考えられる(『宣和画譜』1120年序)。自身の画論を記した『筆法記』を残す。

代表的作品として挙げられるのは「匡廬図」(ぎょうろず)である。輪郭線や細部の描写に意識を集中し、主な特徴としては上から下まで弓のように繰り返す線のパターンは山容に立体感を与える。

のちの華北系の范寛に影響を与える。

伝承作

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参考資料

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