藤井啓一
藤井 啓一[1](ふじい けいいち[2]、1868年1月7日(慶応3年12月13日)[3] - 1953年(昭和28年)6月18日[2][4])は、日本の弁護士[3][5][6][7]、政治家。衆議院議員(山口県第一区選出、当選3回)[2][8]。
経歴
[編集]山口県厚狭郡厚東村(現在の宇部市)出身[1][6]。山口県平民・藤井仁介の長男[5]。初等学を寺子屋に学び、のち漢学を修める[1]。
1890年(明治23年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業[2][3]。法学博士・江木衷の門下生となり、薫陶を受け、弁護士試験に合格[3][9]。その後、下関市に事務所を開いた。弁護士の業務に従事[2]。山口県弁護士会会長、山口県会議員、下関商業会議所特別議員・同顧問などに選ばれた[2][3]。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第16回、第18回でも当選を果たした。立憲民政党に属す[7][8]。
その他、朝鮮勧農株式会社、長州鉄道各取締役なども務めた[3][6]。
人物
[編集]1892年、家督を相続する[7]。趣味は散歩[9]。住所は下関市上田中町[3]、田中町[5][7]。
家族・親族
[編集]- 藤井家
脚注
[編集]- ^ a b c 『関門若倉精華 第1編』75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月16閲覧。
- ^ a b c d e f 『議会制度七十年史 第11』ふ429頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第10版 下』フ44頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月6日閲覧。
- ^ 『昭和物故人名録』
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第6版』ふ6 - 7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月21日閲覧。
- ^ a b c 『衆議院要覧 昭和7年5月 乙』306頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月21閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第8版』フ43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月21日閲覧。
- ^ a b 『第三回普選総選挙大観』164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月15日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第12版 下』フ49 - 50頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 磯野菊右エ門『関門若倉精華 第1編』改進社、1923年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『衆議院要覧(乙)昭和七年五月』衆議院事務局、1932年。
- 『第三回普選総選挙大観』朝日新聞社、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
- 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。