藤原師保

 
藤原師保
時代 平安時代中期
生誕 延喜10年7月7日910年8月14日)?
死没 不詳
官位 従五位下
氏族 藤原北家
父母 父:藤原忠平、母:不詳[1]
兄弟 実頼貴子寛子師輔師保師氏師尹、藤原諸房室
養兄弟:忠君
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藤原 師保(ふじわら の もろやす)は、平安時代中期の貴族藤原北家摂政関白太政大臣藤原忠平の三男。位階従五位下

経歴

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忠平の二男・師輔延喜8年(908年)12月17日生まれで、四男・師氏が延喜13年(913年)正月7日頃の生まれであり、忠平の日記(『貞信公記』)延喜10年(910年)7月7日条に忠平家で出産があったことが記されている事から、師保の生年月日は延喜10年7月7日と推測される[2]

師保の所伝は、『尊卑分脈』に「従五下、出家」とのみあり、法名・没年等の詳細な経歴は不明である。また、『栄花物語』の忠平の子息を紹介する段において、経歴がはっきりしない[3]と記されている事から、若くして出家した事と想定される[4]

脚注

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  1. ^ 兄弟である師輔師氏師尹と名前が類似しているところから、同母兄弟として、母は源昭子源能有の女)とも考えられる。
  2. ^ この記事が『尊卑分脈』等の系譜に記載されない忠平の子の事を指している可能性もある。
  3. ^ 「三郎の御有様おぼつかなし」(『栄花物語』巻第一,月の宴)
  4. ^ 『新編 日本古典文学全集 31 栄花物語 1』小学館、1995年、21頁