藤原 親通(ふじわら の ちかみち)は、平安時代後期の公家。長門守・藤原伊信の子。源頼朝に敗れた親政は孫、平資盛は曾孫にあたる。
山城守を経て、大治2年(1127年)に下野守、その後下総守に任ぜられる。下総守在任中の保延2年(1136年)には在地領主千葉常重から相馬御厨や立花荘を召し上げたという。
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