藤原門宗
時代 | 平安時代前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従四位上、右近衛中将 |
主君 | 清和天皇→陽成天皇 |
氏族 | 藤原北家真夏流 |
父母 | 父:藤原濱雄、母:藤原叡子(藤原乙叡の娘) |
兄弟 | 家宗、飽永、門宗、貞則、益友、橘数雄室 |
妻 | 不詳 |
子 | 有隣、女子(光孝天皇更衣) |
藤原 門宗(ふじわら の かどむね)は、平安時代前期の貴族。藤原北家、参議・藤原真夏の孫。民部少輔・藤原濱雄の子。官位は従四位上・右近衛中将[1]。
経歴
[編集]従五位下に叙爵の後、清和朝の貞観8年(866年)刑部少輔に任ぜられる。貞観11年(869年)貞明親王が皇太子に立てられると、その春宮亮となる。
貞観18年(876年)左近衛少将に任ぜられるが、貞観19年(877年)正月に貞明親王が即位(陽成天皇)すると、同年中に従五位上から従四位下まで三階昇進する。しかし、翌元慶2年(878年)左京権大夫に転じ、のち右馬頭などを務めた。
元慶8年(884年)光孝天皇の即位に伴って従四位上に昇叙され、のち右近衛中将も務めている。
官歴
[編集]注記のないものは『日本三代実録』による。
- 時期不詳:従五位下
- 貞観8年(866年) 2月13日:刑部少輔
- 貞観11年(869年) 2月1日:春宮亮(春宮・貞明親王)
- 貞観12年(870年) 正月25日:備後権介。12月29日:次侍従
- 時期不詳:従五位上。兼播磨権介
- 貞観18年(876年) 正月14日?:左近衛少将[2]
- 貞観19年(877年) 正月3日:正五位上(春宮亮労)。11月21日:従四位下
- 元慶2年(878年) 2月15日:左京権大夫
- 元慶4年(880年) 2月5日:見右馬頭
- 元慶8年(884年) 2月23日:従四位上
- 仁和2年(886年) 正月16日:兼肥後権守
- 時期不詳:右近衛中将、近江守[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。