藤岡喜久男
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藤岡 喜久男(ふじおか きくお、1921年(大正10年) - 2012年(平成24年)9月10日[1])は、日本の歴史学者・教育者。北海学園大学名誉教授。
来歴
[編集]北海道深川市出身。庁立旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)を経て、1942年横浜高等商業学校(現・横浜国立大学経済学部)卒業。庁立深川中学校(現・北海道深川西高等学校)教諭。1949年北海道札幌西高等学校教諭。1952年北海道大学文学部東洋史学科卒業。1954年同大学院文学研究科修了。同文学部助手。同非常勤講師を経て、1958年北海道札幌星園高等学校教諭。1972年北海学園大学法学部の専任講師として就任。1974年同法学部教授。1996年北海学園大学退職。同名誉教授。
研究対象
[編集]張謇は、農民の子に生まれ、1894年「状元・進士」に合格したが、『荀子』に学んで「官」に就かず、生涯「民(野)」に在り「実業と教育」振興による「地方自治工作」に精励;永く省議会議長としてそれを指導した。藤岡氏は、その張謇を初め、袁世凱、西太后に関して、見逃し得ない世界的名著を邦訳し、張謇研究を我が国の第一人者であると思う。その組織的の基は,1909年の国会速開請願運動の組織指導、思想的基礎は民国初頭のやや難解な「尭舜論」、「革命論」等々に在ると考えられる。因みに、この本音はしばしば後継者、張孝若(怡祖;1898~1935)宛の百数十通の書翰に窺がえる。
エピソード
[編集]主著
[編集]訳書
[編集]- 章開沅著『張謇伝稿』、東方書店、1989。
- G.N.スタイガー著『義和団-中国とヨーロッパ』光風社出版、1991年。
- J.O.P.ブランド著『西太后治下の中国マキアベリズムの極致』光風社出版、1994年。
- E.P.ヤング著『袁世凱総統:「開発独裁」の先駆』光風社選書、1994年。
単著
[編集]- 『張謇と辛亥革命』北道大学図書刊行会、1985年。
- 『辛亥革命期の張謇』共同文化社(札幌市)、2008年。
- 『儒教「異端」の革命思想:辛亥革命に於ける張謇』同上、2010年。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 谷内哲治(同教授門下)「修士」課程修了、中国語学者、北海道学園大学非常勤講師など。
- 浅野輝雄(同教授門下)「修士」課程修了、NPO法人自治体政策研究所理事など。
参考文献
[編集]- 『教育・研究年報1』(北海学園大学法学部編集・発行、1993年)p212以下、p249