藤田義隆
ふじた よしたか 藤田 義隆 | |
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生誕 | 1957年8月12日(67歳) 日本 兵庫県神戸市 |
出身校 | 聖ミカエル国際学校英語科 |
職業 | 通訳 |
活動期間 | 1983年 - 2004年 (近鉄/大阪近鉄バファローズ) 2005年 - 2022年 (オリックス・バファローズ) |
藤田 義隆(ふじた よしたか、1957年8月12日[1][2] - )は、兵庫県神戸市出身[1][2]の通訳者。2022年まで日本プロ野球のオリックス・バファローズ編成部国際グループのチーフ通訳を務めた[3]。
経歴
[編集]中学時代に愛聴していたビートルズを切っ掛けに、英語の習得を決意する[2]。芦屋市立芦屋高等学校卒業後は大学進学を目指していたものの、事情があり断念。それでも英語の勉強したいことから専門学校の聖ミカエル国際学校英語科に入学した[1][2][3]。
専門学校卒業時には貿易会社から話があったものの、しっくりこなかったことから断りを入れる[3]。他を探していたところ、同校OBの知人から紹介され、1983年1月[4]、新卒で日本プロ野球・近鉄バファローズに通訳として採用される[1][2]。野球は遊びでやったことがある程度だったが、高校時代には友人の影響で近鉄を応援していたという[3]。最初は英語の野球用語を理解することに苦労していたが、外国人選手と何度も確認していく中で関係も深くなっていったという[2]。
近鉄がオリックス・ブルーウェーブと球団合併してからはオリックス・バファローズの通訳に転じる。2010年からはチーフ通訳に就任[1][2]。2012年の日本プロ野球コンベンションではスタッフ部門賞を受賞した[5]。2021年時点、NPB全球団の現役の球団通訳の中では藤田が最年長であった[6]。
定年のため、2022年シーズンをもって勇退した[4][7][8]。勇退までに携わった外国人選手は120人を超える[4]。
人物・エピソード
[編集]口髭と眼鏡がトレードマーク[4]。気さくな人柄と誠実な仕事ぶりで、選手からの信頼が厚い[9]。近鉄、オリックスで多くの外国人選手の通訳を担当し続け、練習から試合まで移動便や遠征先にも同伴するなど常に外国人選手の傍らにいる[2][3]。外国人選手からは親しみを込めて「フジ」と呼ばれていた[6][10]。
藤田が一番印象に残っている選手はタフィ・ローズであり、近鉄時代もオリックス時代も共に過ごし[3][11]、仕事の枠を越えたローズの「相棒」だったと表現するメディアもある[1]。そんな藤田が「一生忘れられない」と語る記憶として、2021年の日本シリーズ・第5戦のアダム・ジョーンズの代打勝ち越し本塁打を挙げている[4]。ローズとジョーンズの他に印象に残っている選手として、通訳2年目に担当したドン・マネーの名前も挙げている[12]。
球団通訳として初仕事は、伊丹空港でのマイク・エドワーズの入団会見の通訳であった。学生上がりで通訳経験も浅い中で、大勢の記者たちを前にした仕事だったため面を食らい、会見終了後はしばらく席から立ち上がれない放心状態となり、後年「少々トラウマの記憶です(笑)」と語っている[4]。
2021年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第2戦、6回2死一塁の場面で対戦相手・ロッテの投手が東妻勇輔に交代して投球練習をしている際、オリックスの次打者の4番・杉本裕太郎のもとに歩み寄り、「クイックが早いから気を付けろよ」と助言した。すると杉本は東妻の初球を捉えて先制の2点本塁打を放ち、これが決勝点となった。杉本は「藤田さんのアドバイスで上手にタイミングが取れた。改めて周りの人に感謝したいです」と語った[9][13]。もっとも、当然ながらこの助言は藤田個人の意見ではなく監督・中嶋聡の指示の下、伝えに行ったものであり[14]、杉本も冗談めかして語ったコメントである[13]。杉本の次打者が外国人のランヘル・ラベロだったため、ラベロを含めた伝達役に藤田が選ばれたものであった。なお、その隣にいたラベロを通り越して先に杉本に伝えたため、ラベロも驚いた表情を浮かべていたという[14]。
2022年の日本シリーズ・第4戦の練習前に他の勇退する球団職員とともにオリックス選手会から勇退のセレモニーが行われ、「支えてくれてありがとう」と記された特別ユニフォームが手渡された[4][7][8]。その時の様子の映像が、球団公式YouTubeチャンネルに投稿されている[15]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 真柴健 (2020年1月22日). “低評価覆し最強助っ人へ、ローズ成功の秘訣/パ伝説”. 日刊スポーツ 2021年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 湯澤涼 (2018年2月21日). “【裏方の流儀】オリ藤田チーフ通訳 助っ人砲に愛される“言葉の助っ人””. Sponichi Annex 2021年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e f 藤田義隆(インタビュアー:チャリンコK)「裏方さんの仕事シリーズ第5回」『GO!GO!オリックス・バファローズ』、まいぷれ[尼崎市] 。2021年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g 西田光 (2022年10月29日). “藤田義隆通訳が勇退 近鉄時代から40年サポート 「幸せな時間」”. Buffaloes 蔵出しノート. オリックス・バファローズ. 2022年10月30日閲覧。
- ^ “プロ野球コンベンションで球団スタッフ部門賞を発表”. SPORTS BUSINESS ONLINE. (2012年11月22日)
- ^ a b 湯澤涼 (2021年2月14日). “オリックス・藤田通訳 37年ぶり大阪で球春 コンビニさえ行かず感染対策”. Sponichi Annex 2021年11月11日閲覧。
- ^ a b 竹村岳 (2022年10月29日). “【日本シリーズ舞台裏】オリックス、藤田通訳&上岡さんに感謝の思い 〝ありがとうユニホーム〟をプレゼント”. サンスポ 2022年10月30日閲覧。
- ^ a b “【オリックス】球団職員の上岡千夜子さん、藤田義隆通訳が勇退 試合前にT岡田、平野佳から花束”. 日刊スポーツ. (2022年10月26日) 2022年10月30日閲覧。
- ^ a b 西垣戸理大 (2021年11月12日). “オリックス・杉本、六回初球フルスイングV2ラン! 意外な人物からアドバイス”. サンスポ: p. 2 2021年11月12日閲覧。
- ^ 西垣戸理大 (2018年5月3日). “ハンキューベリーマッチ!オリ、マレーロ追撃8号&ロメロV弾で3連勝”. サンスポ 2021年11月11日閲覧。
- ^ “通訳に聞きました!助っ人たちの「あんな話、こんな話」 感動、ドタバタ、おもしろエピソード Part1”. 週刊ベースボールONLINE. (2019年7月24日) 2021年11月11日閲覧。
- ^ 藤田義隆 (1 December 2022). "いま会いたい選手は? オリックス通訳・藤田義隆さんが印象に残っている3選手". パ・リーグ.com (Interview). Interviewed by パ・リーグ インサイト 海老原悠. 2023年4月17日閲覧。
- ^ a b “オリックス・ラオウ王手弾 効いた!藤田通訳の“助言”代わった東妻の初球仕留める”. デイリースポーツ online. (2021年11月12日) 2021年11月12日閲覧。
- ^ a b 真柴健 (2021年11月12日). “オリックス杉本裕太郎V弾「クイックが早い」まさかの藤田通訳助言に応えた”. 日刊スポーツ 2021年11月12日閲覧。
- ^ 【勇退】上岡さん&藤田通訳へサプライズプレゼント! - YouTube