藤田隆治
オリンピック | ||
---|---|---|
男子 芸術競技 | ||
銅 | 1936 ベルリン | 絵画 |
藤田 隆治(ふじた りゅうじ、1907年(明治40年)4月13日 - 1965年(昭和40年)1月28日)は、日本の日本画家。
人物
[編集]山口県豊浦郡豊北町(現在の下関市)に生まれる[1]。高島北海、野田九甫に師事する。革新日本画会、青竜社展、新文展に入選。1934年に吉岡堅二らと新日本画研究会を結成。
1936年ベルリンオリンピックの芸術競技絵画部門に作品「アイスホッケー」で参加し銅メダルを獲得[1]。同作品はナチスに買い上げとなり、その後の行方については明らかではない[1]。弟子の笠青峰が復元を試みた際の資料によると、モデルとなったアイスホッケー選手は慶應義塾大学と王子製紙の選手だという。この競技の二部では、高田力蔵も受賞した。
1938年に新美術人協会を結成。その後、北九州市に移り創作を続けた。佐賀大学講師も務めた。
出典
[編集]- ^ a b c “所蔵品展「藤田隆治とオリンピック/夏休み美術探偵」”. www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp. 下関市立美術館. 2024年2月19日閲覧。