袁 大化(えん だいか)は、清末民初の政治家。中華民国の初代新疆都督。字は行南。
清代の廩生(秀才)。漠河金鉱総弁から始まり、山東按察使・河南布政使等を歴任した。1910年(宣統2年)11月、山東巡撫使に任命される。翌年、新疆巡撫に任命された[1]。
1912年(民国元年)1月7日、イリ革命党の楊纘緒らが辛亥革命に呼応して挙兵した。袁大化は新疆提法使楊増新にこれを鎮圧させようとしたが、楊増新は迪化(ウルムチ)に駐屯したまま動こうとしなかった。同年3月、袁大化は袁世凱からそのまま新疆都督に任命されたが、もはや省内の統制をとれる状態には無かった[2]。まもなく袁大化は自ら辞職し、後任にカシュガル道台の袁鴻祐を推薦した。ところが、袁鴻祐は着任前に哥老会の刺客に暗殺されてしまう。袁大化は楊増新を後任新疆都督に改めて推薦した後、逃走した[3]。
1917年(民国6年)7月、張勲復辟の際に、袁大化は内閣議政大臣に任命された。復辟失敗後は、天津で蟄居状態となる[1]。1931年(民国20年)、日本軍から満州国への参加を呼びかけられたが、袁大化は「一臣は二主に事(つか)えず」と答え、これを拒否した[4]。1935年(民国24年)死去。享年85[1][4]。
- ^ a b c 徐主編(2007)、1101頁。
- ^ 陳(2000)、112-113頁。
- ^ 陳(2000)、113頁。
- ^ a b 阜陽市地方志編纂委員会(1999)。