西園寺公潔
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化15年2月1日(1818年3月7日) |
死没 | 天保7年5月30日(1836年7月13日) |
官位 | 従三位、右近衛権中将 |
主君 | 仁孝天皇 |
氏族 | 有栖川宮→西園寺家 |
父母 | 父:有栖川宮韶仁親王、母:家女房 養父:西園寺寛季 |
兄弟 | 万宮、幟仁親王、慈性入道親王、公紹入道親王、公潔、游亀宮、実種宮、韶子女王 |
子 | 養父:師季 |
西園寺 公潔(さいおんじ きんずみ)は、江戸時代後期の公卿。官位は従三位右近衛権中将。
経歴
[編集]もともとは皇族であったが、西園寺寛季の子の治季が早世したために、臣籍降下して寛季の養子となり、西園寺公潔として西園寺家を相続した。天保3年(1832年)に叙爵し、侍従・左近衛権少将・右近衛権中将をへて、天保7年(1836年)には従三位となり公卿に列したが、同年に19歳にして薨去した。西園寺家は治季の子の師季が相続した。