諏訪交響楽団
諏訪交響楽団(すわこうきょうがくだん)は、長野県の諏訪地方を拠点とするアマチュア・オーケストラである。1925年(大正14年)の諏訪ストリングソサエティを発端として歴史が長く[1]、1999年(平成11年)6月、ウィーン・コンツェルトハウス・モーツァルトザールにて海外公演を行うなど、アマチュア楽団の中でも特に活発な活動が見られ、規模もある。公益社団法人諏訪交響楽団が運営する。
歴史
[編集]- 1924年(大正13年) - 上諏訪町・今井久雄[2]がバイオリン講習所開所
- 1924年(大正13年) - 下諏訪町・三輪良三中心の弦楽合奏の集まりが加わり前身となる「諏訪ストリングソサエティ」誕生
- 1925年(大正14年)7月24日 - 諏訪ストリングソサエティ創設記念会
- 1926年(大正15年) - 「諏訪ストリングソサエティ」から「諏訪フィルハーモニックソサエティ」そして「諏訪音楽協会」と改称
- 1926年(大正15年) - 会員の関貞英が関楼に音楽会用ホール建設(後、諏訪市駅前市民会館[3]、通称関ホール)
- 1926年(大正15年)4月17日 - 第1回公開演奏会(関楼ホール)
- 1927年(昭和2年) - 第10同定期公演で客演措揮井出茂太により未完成全曲演奏
- 1929年(昭和4年) - 「諏訪音楽協会」と改称
- 1931年(昭和6年) - 混声合唱が編成され「混声合唱と管弦楽の会」開催
- 1932年(昭和7年) - 「東北地方飢饉救援募金演奏会」出演
- 1936年(昭和11年) - 南諏5ケ村連合青年会音楽会出演
- 1942年(昭和17年) - 入一、片倉、丸六、製糸慰問演奏会
- 1947年(昭和22年) - 日本交轡楽団(NHK交響楽団)演奏会主催交流会
- 1951年(昭和26年) - 社団法人諏訪交響楽団となる(このとき団員47名)
- 1954年(昭和29年) - 「長野県交響楽団連盟第1回演奏会」にて上指揮柳田呈也による、ベートーヴェン交響曲第1番ほかを演奏
- 1960年(昭和35年) - 諏訪市とオーストリアベルグル市 友好都市締結式典出演
- 1965年(昭和40年) - NHKテレビ新日本紀行に出演。創立40周年記念第62回定期公演において芥川也寸志指揮シューベルト未完成の演奏。
- 1966年(昭和41年) - 宮内庁指揮者沖不可止を新たに指揮者として迎える
- 1978年(昭和53年) - 両角俊一会長文化庁より表彰される
- 1981年(昭和56年) - 文化貢献団体として長野県知事表彰を受ける。南信日日新聞社創立80周年記念に表彰を受ける。
- 1985年(昭和60年) - 諏訪子供劇場コンサート出演。諏訪姉妹都市の秦野市“丹沢音楽祭”に出演。高遠町県民コンサート出演。創立60周年記念第100回定期演奏会
- 1986年(昭和61年) - 伊那フィル第1回定期応援(伊那フィルとの連携始まる)。第1回国民文化祭オーケストラ部門へ代表奏者派遣。
- 1988年(昭和63年) - 渡邊暁雄指揮による岡谷市主催の演奏会に出演
- 1989年(平成元年) - 渡邊暁雄指揮、渡邊康雄指揮・ピアノで下諏訪文化センター開館記念演奏会に出演。小澤征爾指揮、ロストロポーヴィチのチェロでドポルザークチェロ協奏曲の特別演奏会実施(9月1日)。
- 1990年(平成2年) - 今井光也諏訪響会長に就任
- 1996年(平成8年) - 3月、NHKより「第1回関東甲信越地域放送文化賞」を受賞。5月、「第18回サントリー地域文化賞」を受賞[4]
- 2022年5月14日より茅野市民館会場の「第2回 蓼科高原音楽祭~蓼科にクラシック音楽の花束を~」にピアニスト金子三勇士、ヴァイオリニストの瀬﨑明日香、佐々木祐子らと出演[5]。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 岡谷市文化会館カノラホール - 毎年定期演奏会を開催
- 日本アマチュアオーケストラ連盟
- オリンピック東京大会ファンファーレ - 今井光也作曲
- 下諏訪町立下諏訪社中学校 - 校歌を保坂俊正が合唱曲に編曲。