谷村唯一郎
谷村 唯一郎(たにむら ただいちろう、1887年4月5日 - 1982年5月29日)は、日本の弁護士・最高裁判所判事。
経歴
[編集]鹿児島県名瀬町生まれ[1]。会計検査院の書記をしながら、1914年に中央大学法律科を卒業[1]。1917年に弁護士となり、戦前には東京弁護士会会長を務める[1]。戦後は法曹一元化に一環として司法次官(後の法務事務次官)として数々の法改正を手がけ、司法研修所の設立に力を尽くした[1]。また、GHQの公職追放解除を審査する公職資格訴願審査委員会委員長を歴任[1]。
定年前の1956年11月に「定年なんて老いぼれの烙印を押されるのは嫌」として依願退官[2]。退官後は運輸審議会会長、日本法律家協会会長を歴任。また中央大学理事、飯野海運や三省堂などの顧問弁護士を務めた[3]。
1982年5月30日に東京都練馬区の病院で95歳で死去[3]。墓所は多磨霊園[4]。
人生訓は「無理をしないこと、欲を出さないこと」「何事も腹八分目がいい」[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 野村二郎『最高裁全裁判官:人と判決』三省堂、1986年。ISBN 9784385320403。
- 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 9784426221126。
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