谷潔
谷潔 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市 |
生年月日 | 1957年1月11日(67歳) |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
初免許年 | 1994年(1995年開業) |
重賞勝利 | 4勝(JRA重賞のみカウント) |
G1級勝利 | 1勝 |
経歴 | |
所属 | 谷八郎(1979年 - 1994年) 栗東T.C.(1994年 - 現在) |
谷 潔(たに きよし、1957年1月11日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する調教師。
主な管理馬に2014年の菊花賞に優勝したトーホウジャッカルがいる。
経歴
[編集]1957年、当時日本中央競馬会の騎手であった谷八郎の長男として生まれる。京都競馬場の厩舎地区で育ち、幼少の頃から馬に親しんだが自身は騎手を目指すことはなかった[1]。同志社中学校・高等学校を経て同志社大学と進んだが、この間、調教師として開業した父のもとに弟子入りした田島良保、田原成貴といった騎手たちの華々しい活躍に触発され、競馬界に入ることを志す[1]。大学卒業後に父の厩舎に厩務員として入ったが、当時は乗馬経験もなかった[1]。1年の訓練を経て調教助手の資格を取得、1983年には研修のため渡米し、西海岸のリチャード・マンデラ厩舎でエクササイズライダー、次いでケンタッキー州のゲインズウェイファームで厩務作業に従事した[1]。1984年末に帰国。以後谷厩舎で引き続き調教助手を務めたのち、1994年に調教師免許を取得し、翌1995年より栗東トレーニングセンターに厩舎を開業した[1]。
1997年、管理馬ヒコーキグモがきさらぎ賞に勝利し、重賞初勝利。2014年、トーホウジャッカルがクラシック三冠最終戦の菊花賞を制し、開業20年目でGI競走初制覇を果たした。同馬は芝3000メートルの日本レコードを樹立し、デビューから149日という菊花賞史上最短記録での勝利であった[2]。また、八郎が調教師時代の1971年に三冠のうちの皐月賞と東京優駿(日本ダービー)を制していたことから、谷についても「親子二代で三冠制覇」と報じられた[3][2]。
調教師成績
[編集]日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1995年3月5日 | 3回京都4日9R | 淡路特別 | チェンジ | 8頭 | 4 | 5着 |
初勝利 | 1995年3月19日 | 3回京都8日4R | 4歳未勝利 | タマビッグエックス | 15頭 | 1 | 1着 |
重賞初出走 | 1996年3月2日 | 1回阪神3日9R | 阪神障害S(春) | センターゼウス | 9頭 | 7 | 3着 |
重賞初勝利 | 1997年2月2日 | 2回京都4日11R | きさらぎ賞 | ヒコーキグモ | 10頭 | 6 | 1着 |
GI初出走 | 1997年5月11日 | 2回東京8日11R | NHKマイルカップ | ヒコーキグモ | 18頭 | 9 | 4着 |
GI級初勝利 | 1998年12月14日 | 9回水沢3日9R | ダービーグランプリ | ナリタホマレ | 10頭 | 3 | 1着 |
GI初勝利 | 2014年10月26日 | 4回京都7日11R | 菊花賞 | トーホウジャッカル | 18頭 | 3 | 1着 |
主な管理馬
[編集]※括弧内は谷管理下における優勝重賞競走。太字はGI競走。
- ヒコーキグモ(1997年きさらぎ賞)
- グリーンサンダー(1997年佐賀記念)
- ナリタホマレ(1998年ダービーグランプリ[4]、1999年オグリキャップ記念[5])
- キングザファクト(2002年ダイヤモンドステークス)
- トーホウジャッカル(2014年菊花賞)
- シゲルカガ (2015年北海道スプリントカップ)
- ヨカヨカ(2021年北九州記念)
出典
[編集]- ^ a b c d e 木村(1997)pp.820-828
- ^ a b “【菊花賞】トーホウジャッカル最速V!JRAレコード3分1秒0”. スポーツ報知 (2014年10月27日). 2014年10月27日閲覧。
- ^ “【菊花賞】谷師、ジャッカルで悲願のGI初勝利!”. サンケイスポーツ (2014年10月27日). 2014年10月27日閲覧。
- ^ 1998年ダービーグランプリ - netkeiba、2014年11月18日閲覧
- ^ 1999年オグリキャップ記念 - netkeiba、2014年11月18日閲覧
参考文献
[編集]- 木村幸治『調教師物語』(洋泉社、1997年)ISBN 978-4896912920