貝洲加藤神社
貝洲加藤神社 | |
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貝洲加藤神社 | |
所在地 | 熊本県八代市鏡町貝洲699 |
位置 | 北緯32度33分51.1秒 東経130度37分30.8秒 / 北緯32.564194度 東経130.625222度座標: 北緯32度33分51.1秒 東経130度37分30.8秒 / 北緯32.564194度 東経130.625222度 |
主祭神 | 加藤清正公 |
社格等 | 村社 |
創建 | 1822年(文政5年) |
例祭 | 9月24日 |
貝洲加藤神社(かいずかとうじんじゃ)は、熊本県八代市鏡町貝洲に鎮座する神社である。御祭神は加藤清正公。旧社格は村社。
由緒
[編集]熊本県八代市鏡町は、総面積の約80パーセントが海を埋め立てた干拓により開かれた土地である。鏡町近郊の干拓工事は、熊本藩主細川氏のもと、江戸時代の元禄期(1688年 - 1704年)頃よりはじまっているが、鹿子木量平(かのごき りょうへい、1753年 - 1851年)が中心となって行われた工事は特に大規模である[1]。
鹿子木量平は、工事に臨む際、土木工事・新田開発の先駆者として加藤清正の神霊に祈った。そして息子の謙之助らと共に、1805年(文化3年)より1822年(文政5年)にかけて、100町、400町、700町という3度の大干拓工事を、困難の末に成功させた[2]。
1822年(文政5年)、工事の完了後、量平は加藤清正霊の加護に報いるため、清正公を祀る本妙寺浄池廟より分霊を勧請し、新しい地域の守護神として神殿を創建した。はじめは神道と仏教の両部の宮寺であったが、1870年(明治3年)、神仏分離令により神祭に改め、村社に列した[3]。
なお、鹿子木量平は、その遺徳を追慕して八代市鏡町の文政神社に祀られている[4]。
御祭神
[編集]例祭日
[編集]- 例大祭 - 9月24日
境内社
[編集]出典
[編集]- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編 『角川日本地名大辞典43 熊本県』 角川書店、1987、285頁
- ^ 熊本日日新聞編纂・発行『熊本県大百科事典』、1982、156頁
- ^ 永松豊蔵編著 『鏡町史 上巻』 鏡町、1982、704-706頁
- ^ 加藤秀俊ほか編纂『人づくり風土記43 熊本』農山漁村文化協会、1990、319-326頁