賀島政綽

賀島 政綽(かしま まさひろ、文化14年8月8日1817年9月18日[1] - 明治15年(1882年5月25日)は、徳島藩家老賀島家12代当主。

父は徳島藩家老賀島政延。幼名は磯之丞。通称は備前。

生涯

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文化14年(1817年)、賀島政延の子として生まれる。嘉永6年(1853年)、ペリー浦賀に来航した際に、江戸湾を警備する。慶応2年(1866年)、父の死去により家督相続する。同年長州征伐に出陣する。明治2年(1869年)の版籍奉還で知行1万石を召し上げられ、1000石を給される。明治3年(1870年)、隠居して家督を弟の政載に譲る。明治15年(1882年)5月25日死去。享年65。

脚注

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  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.412

参考文献

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  • 「阿南市史」