趙 仏保(ちょう ふつほ、1118年 - ?)は、北宋の徽宗の第28皇女(夭逝を除いて第17皇女)。
淑妃崔氏(後に庶人となった)の五女として重和元年(1118年)に生まれ、永福帝姫の位を授けられた。同母姉に徽福帝姫・敦福帝姫・寧福帝姫・仁福帝姫がいる。
靖康の変後、金に連行され、金の天会6年(1128年)8月に洗衣院に下された。