趙 椅(ちょう い、1118年 - 1130年)は、北宋の徽宗の第26皇子(夭逝を除いて第21皇子)。
賢妃劉氏の次男として生まれた。同母兄に趙柍、同母姉に和福帝姫がいる。劉氏は仙女のように美人と謳われ、徽宗に特別に寵愛され、後に安妃となり、また明節皇后の諡号を追贈された。
重和元年(1118年)8月23日、嘉国公の位を授けられた。
靖康の変後、10歳で金に連行され、13歳で金の天会8年(1130年)8月26日に五国城で死去した。