趙珠珠
趙 珠珠(ちょう しゅしゅ、1113年 - ?)は、北宋の徽宗の第22皇女(夭逝を除いて第11皇女)。
経歴
[編集]婉容嬪王氏[1]の娘として生まれた。恵福帝姫の位を授けられた。
靖康の変の際、徽宗や欽宗らと共に金軍に拉致された。連行の前、完顔宗望(珠珠の異母姉の趙福金の後夫)は個人的に酒宴を設け、徽宗はこれに応じた。宗望は酒宴のついでに完顔斜保(完顔宗翰の次男)の仲人として、珠珠を所望した。徽宗は承知し、珠珠は斜保の次婦(妾妻)となった。
金に到着後、宗望・設野馬(珠珠の異母姉の趙富金の後夫)・斜保は徽宗を私的に訪問し、駙馬(婿)の礼をとった。『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで珠珠は金で健在であった。
脚注
[編集]- ^ 名は王月宮。『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで金で健在であった。
伝記資料
[編集]- 『宋史』
- 『靖康稗史箋證』
- 『北狩見聞』
- 『三朝北盟会編』