近田春夫
近田 春夫 | |
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出生名 | 近田 春夫 |
別名 | 近尾 春親 近田 ハルオ 塚田 みのる デューク 柏淵 President BPM 作詞センター 作曲研究所 東京アレンジサービス SCSI-TR NO CHILL OUT Rice 小諸鉄矢とCM NETWORK(※制作ユニットの一員)[1] |
生誕 | 1951年2月25日(73歳) |
出身地 | 日本・東京都 |
学歴 | 慶應義塾高等学校卒業 慶應義塾大学文学部中退[2] |
ジャンル | ロック パンク・ロック 歌謡曲 ラップ トランス |
職業 | 歌手 作曲家 音楽評論家 |
担当楽器 | ピアノ キーボード |
活動期間 | 1970年 - |
レーベル | キングレコード 日本コロムビア 徳間ジャパン BPM ソリッドレコード ポニーキャニオン バンダイ・ミュージックエンタテインメント ミュージックマイン ビクターエンタテインメント |
事務所 | 渡辺プロダクション アミューズ 近田春夫事務所 |
共同作業者 | 谷啓 窪田晴男 沖山優司 |
近田 春夫(ちかだ はるお、1951年〈昭和26年〉2月25日 - )は、日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー、音楽評論家、タレントである。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部ポピュラーカルチャー学科音楽コース教授[3]。別名は、近尾 春親(ちかお はるちか)、近田 ハルオ、塚田 みのる(つかだ みのる)[4][5]、デューク 柏淵(デューク かしわぶち)、President BPM(プレジデント ビーピーエム)、作詞センター(さくしセンター)、作曲研究所(さっきょくけんきゅうじょ)、東京アレンジサービス (とうきょうアレンジサービス)、SCSI-TR(スカジーティーアール)、NO CHILL OUT(ノーチルアウト)、Rice(ライス)等多数。またCMソング作曲ユニット小諸鉄矢とCM NETWORKのメンバーの一人[1]。 東京都出身、慶應義塾大学文学部中退。スタイリストの近田まりこ(1952年 - )は元妻。
経歴
[編集]- 1951年(昭和26年)2月25日、東京都に生まれる。実家は世田谷区等々力にあり、3歳からピアノのレッスンを受けて育った[6]。
- 1957年(昭和32年)4月、慶應義塾幼稚舎に入学[7]。この小学校の中では実家が貧しく、そのことで暗い気分になった[8]。
- 1963年(昭和38年)4月、慶應義塾普通部に入学[7]。
- 1966年(昭和41年)4月、慶應義塾高等学校に進学。高校在学中に音楽活動を開始し、留年を重ねる。
- 1970年(昭和45年)、GS(グループ・サウンズ)末期のバンドロック・パイロットに参加する。また同じころ、元ザ・ビーバーズの平井正之・成田賢らのエモーションに参加する。同年12月、有楽町で開かれた第1回「日劇ロック・カーニバル」に、カルメン・マキ&タイムマシーンのキーボード奏者として参加。アルバイトとして参加していた『an・an』(平凡出版(現マガジンハウス))の取材で知り合った立川直樹の紹介だった。[9]
- 1971年(昭和46年)、2留して高校を卒業後、慶應義塾大学文学部に入学するもほとんど学校には顔を出さず、高校時代から関わっていた『an・an』(平凡出版(現マガジンハウス))の編集部で働く[10]。クニ河内のバンド羅生門に参加、翌1972年1月、アルバム『インディアン、死よりも赤を選ぶ』を発表。
- 1972年(昭和47年)、元村八分の初代ドラマー恒田義見らとハルヲフォン(のちの近田春夫&ハルヲフォン)を結成する[11]。同年、アラン・メリル、金沢ジュンとゴジラを結成、同年、内田裕也の1815ロックンロールバンドに参加[12]。
- 1974年(昭和49年)、スタイリストの近田まりこと結婚。
- 1975年(昭和50年)、谷啓とザ・スーパーマーケット結成に近田ハルオ名義で参加。同年ハルヲフォンはメジャーデビューする。
- 1976年1月1日 - 7日、日本劇場で行われた「'76 小柳ルミ子★アグネス・チャン ハッピー ニュー イヤー ショー」に谷啓とザ・スーパーマーケットのメンバーとして出演。
- 1977年10月、『近田春夫のオールナイトニッポン』(ニッポン放送、火曜2部: 1977年10月 - 1979年3月、金曜1部: 1979年4月 - 同年9月[13])放送開始。
- 1978年(昭和53年)、雑誌『POPEYE』(平凡出版(現マガジンハウス))で連載コラム「THE 歌謡曲」を開始、1984年まで続いた。シングル『ロキシーの夜』でソロデビューする。同シングルのB面を最後にハルヲフォンは解散した[11]。
- 1979年(昭和54年)、近田春夫&BEEFを結成。BEEFは翌1980年、ジューシィ・フルーツとして分離、デビューした。同年、「THE 歌謡曲」などのコラムやインタビュー、対談等をまとめた単行本『気分は歌謡曲』(雄山閣出版)発売。
- 1980年(昭和55年)、ザ・ベンチャーズのアルバム「カメレオン」に加藤和彦、坂本龍一、ヒカシュー等と共に参加、ツアーにもゲストで参加している。
- 1981年(昭和56年)、窪田晴男、福岡ユタカらのバンド人種熱をとりこみ、近田春夫&ビブラトーンズを結成する。
- 1983年(昭和58年)、元ハルヲフォンの高木英一、元ピンナップスの野元貴子らとゲートボールを結成。
- 1986年(昭和61年)、ヒップホップ専門レーベルBPMを設立、President BPM名義で12インチシングル『MASS COMMUNICATION BREAKDOWN』を発表。
- 1987年(昭和62年)、JAGATARAのOTOらと人力ラップビッグバンド、ビブラストーンを結成。
- 1995年(平成7年)、ビブラストーン解散、ソロでゴアトランスを手がけ始める。
- 1997年(平成9年)1月、『週刊文春』(株式会社文藝春秋)で『考えるヒット』の連載を開始。
- 同年1月21日、Afromix名義でEP『444』、同年2月21日、EP『WORM』を発表。
- 同年3月21日、SCSI-TR名義でEP『SCUTTLE SHAKE』、同年5月21日、EP『HOT ROD 2001』を発表。
- 同年7月21日、NO CHILL OUT名義でゴアトランスEP『Black Light』、同年11月21日、EP『FUNKY-ZERO』を発表。
- 同年11月21日、CHAKAとのバンドDelicious Hipによるアルバム『Delicious Hip』を発表。
- 1998年(平成15年)、「THE 歌謡曲」全連載内容を含む『定本 気分は歌謡曲』を刊行。
- 2002年(平成14年)10月13日、Omb、UKIASHI、USCUSとトランス・バンドThe Lunatic Thunderを結成、川崎クラブチッタで初ライヴ。近田はテクノ・トランス・プロジェクトRice名義。
- 2003年(平成15年)2月26日、The Lunatic Thunderの初アルバム『KINGDOM COM』、同年9月26日、Rice名義で初アルバム『B.P.M.syndicate』をそれぞれ発表。
- 2006年(平成18年)4月29日 - 30日、近田春夫&ハルヲフォン・リローデッド名義でハルヲフォン再結成。
- 2008年(平成20年)8月、S字結腸のがんを開腹手術。
- 2010年(平成22年)12月2日、NHKラジオ第一放送にて、『ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?』開始(1~2か月に1回の不定期放送)。翌年、新年度4月6日より毎週金曜日、週1回の放送開始[14]。
- 2011年(平成23年)6月20日、The Lunatic Thunderのアルバム『Encounter』を発表。同年12月10日、The Lunatic Thunder名義で、ageHaで行われた『ageHa×Mother presents Mother 9th Anniversary Party「MUSIC IS CONNECTED TO UNIVERSE」』に出演。
- 2013年(平成25年)4月、京都精華大学にポピュラーカルチャー学部開設、教授に就任[3]
- 2017年(平成29年)、元ハルヲフォンの恒田義見・高木英一と活躍中を結成。
- 2018年(平成30年)10月31日、近田春夫名義では38年ぶりのアルバム『超冗談だから』、12月19日には近田とOMBによるLUNASUNのアルバム『Organ Heaven』をリリース。
名義歴
[編集]- ロック・パイロット ⇒ エモーション ⇒ 羅生門(近尾春親) ⇒ ハルヲフォン ⇒ ゴジラ ⇒ 加藤ヒロシとそのグループ ⇒ 1815ロックンロールバンド ⇒ 谷啓とザ・スーパーマーケット(近田ハルオ) ⇒ 近田春夫&ハルヲフォン ⇒ 近田春夫 ⇒ 近田春夫&BEEF ⇒ 人種熱+近田春夫 ⇒ 近田春夫&ビブラトーンズ ⇒ ビブラトーンズ ⇒ ゲートボール ⇒ President BPM ⇒ 近田春夫&ビブラストーン ⇒ ビブラストーン ⇒ Afromix ⇒ SCSI-TR ⇒ NO CHILL OUT ⇒ Delicious Hip ⇒ Rice ⇒ The Lunatic Thunder ⇒ 近田春夫&ハルヲフォン・リローデッド⇒ The Lunatic Thunder ⇒ 活躍中 / LUNASUN
人物・来歴
[編集]慶應義塾大学在学中から、内田裕也のバックバンドでキーボード奏者として活躍。また、創刊されたばかりの「anan」編集部にアルバイトとして出入りしていた[15]。また、内田に付き従うなかで、渡辺プロダクションのマネージャーだった大里洋吉と親しくなり[16]、大里に「ザ・ワイルドワンズ、ロック・パイロット、アラン・メリル、この3組のキーボードを全部やってくれたら、1組分のギャラを払うよ」と誘われ、理不尽な契約ながらも、日劇ウエスタンカーニバルステージに出られるとなると嬉しく、二つ返事で快諾したという[17][18]。なお、この縁から、後に近田が設立した近田春夫事務所のデスクは、渡辺プロから独立して大里が設立したアミューズ内にあった[19]。
1972年に「近田春夫&ハルヲフォン」を結成。1974年には、脚本家の荒井晴彦からの依頼で日活ロマンポルノ『濡れた賽ノ目』(監督若松孝二、製作若松プロダクション)の音楽を「塚田みのる」名義で手がけ、同年には同じく荒井の依頼で日本専売公社のPR映画(監督渡辺護、主演竹井みどり・寺田農)の劇伴を手がけた[4][5]。
1970年代後期から1980年代初期にかけては、ラジオパーソナリティやテレビ番組のコメンテーター、テレビドラマ『ムー一族』、『家路〜ママ・ドント・クライ』出演、アニメ映画『フリテンくん』の主役声優担当など、メディアを跨いだ幅広い仕事をこなす。
また、「日本の歌謡曲が持つ音楽性」にもっとも早く気がつき、1978年から1984年にかけて、雑誌「POPEYE」に伝説的なコラム「THE 歌謡曲」を連載。また、「近田春夫&ハルヲフォン」のアルバム『電撃的東京』(1978年)でも、歌謡曲のカバーを行った。1979年にソロ・アルバム『天然の美』を発表。アレンジ・演奏に結成直後のイエロー・マジック・オーケストラを起用する。『エレクトリック・ラブ・ストーリー』、『ああ、レディハリケーン』等で漫画家の楳図かずおを作詞家として起用した。
結成したバックバンド「BEEF」は茂木由多加とNOGERAを除いたメンバーが、1980年にテクノ歌謡バンドジューシィ・フルーツとしてデビュー、自らプロデューサーを務めた。近田が作曲を担当したジューシィ・フルーツの曲『恋のベンチ・シート』をもじったタイトルの『恋のぼんちシート』を当時人気絶頂だった漫才コンビ「ザ・ぼんち」に提供。近田にとってはジューシィの『ジェニーはご機嫌ななめ』に続く大ヒット曲となったが、ラジオ番組「ビートたけしのオールナイト・ニッポン」でこの曲がダーツ『ダディクール』の盗作ではないかとする投稿があり、聞き比べによる検証が行われた。翌週のラジオ番組で、近田はあっさり「パクった」と認め、その言い訳をしない姿勢と元来猥雑であった近田のキャラクターから大きな問題にはならなかった。
1981年には人種熱のメンバーをそのままバックバンドとして取り込む形で、「近田春夫&ビブラトーンズ」を結成、アルバム1枚とミニアルバム1枚を発表する。同年、植田まさし原作4コマ漫画のアニメ映画「フリテンくん」で主役のフリテンくんに抜擢で出演。
1984年には、近田の原案・製作総指揮で、手塚眞監督によるミュージカル映画『星くず兄弟の伝説』を製作。音楽も自ら担当した。
また、1986年ごろの高木完、藤原ヒロシの紹介により[20]1986年からはファンクやラップに注目、President BPM名義で活動。自身のレーベルBPMを率いて、タイニー・パンクスらと日本語ラップのパイオニアとも言える活動を行う。1987年には「バンド形式によるヒップホップ」というコンセプトでビブラストーンを結成。
2001年より自身のプロジェクト RICE等、サイケデリック・トランスの分野での活動を開始する。2006年には近田春夫&ハルヲフォン・リローデッドとしてイベントに出演。
CMソング仕事も大量に行っていたが、自伝によるとトランスやレイブの仕事を優先させるために、2007年ごろに終了させたとのこと[21]。また週刊文春での連載『考えるヒット』において歌謡曲の楽曲的分析を行うなど、活動は盛んである。
エピソード等
[編集]- 『タモリ倶楽部』の「空耳アワー」の年次総集編である「空耳アワード」の常連出演者で、自身も投稿した経験がある。ネタはストロベリー・パスの『イエローZ』から「オ〇〇コ やろうぜ!」という露骨な下ネタの空耳で、VTRを見た安齋肇から「近田さん50歳になったというのに…」と呆れられていた。また、この番組で共演したマーティ・フリードマンとはその後、ウェブや書籍の企画で対談するなど、交流がある[22][23]。
- 2022年1月、鳥取県が開催した「とっとり弥生の王国プレミアムイベント・青谷弥生人そっくりさんコンテスト」にて特別賞を受賞し「とっとり弥生の王国」の「国民認定証」が贈呈された[24]。
- 「セブンイレブン」がコンビニで、「麦とホップ」が第3のビールで「抜きん出ている」と語ったことがある[25]。
- 日本で最初にチョッパー奏法をやったベーシストはいかりや長介だというデマを流したのは近田である。
出演
[編集]ラジオ
[編集]- 午後のまりやーじゅ(金曜)「ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?」(NHKラジオ第1、2013年3月までの「つながるラジオ」から継続)
- TOKYOロッキン・タイム(TBSラジオ、1978年10月 - 1979年3月)
- 近田春夫の赤坂センセーション(TBSラジオ)
- 近田春夫のオールナイトニッポン(ニッポン放送)
- 近田春夫とマナの西武ミュージック・フレンド・ショップ(ニッポン放送)
- ヤング コネクション ポップアイランド(ラジオ関西)
- MBSミュージックマガジン(MBSラジオ、1979年10月 - 1980年3月)
- ザ・オーディション 〜才能救出計画(TOKYO FM)
- TOKYO M.A.A.D SPIN(J-WAVE、2021年10月 - 毎月最終木曜深夜 小泉今日子と共演)
バラエティー
[編集]- タモリ倶楽部(テレビ朝日)不定期出演 - 主に音楽企画・空耳アワード審査員
- ラストアイドル in AbemaTV - Good Tears プロデューサーとして
テレビドラマ
[編集]ディスコグラフィ
[編集]シングル
[編集]1970年代
[編集]- FUNKYダッコNo.1 (1975年、ハルヲフォン名義)
- シンデレラ (1976年、近田春夫&ハルヲフォン名義)
- 恋のT.P.O. (1976年、近田春夫&ハルヲフォン名義)
- ロキシーの夜 (1977年、A面近田春夫名義、B面近田春夫&ハルヲフォン名義)
- きりきりまい (1978年、近田春夫&ハルヲフォン名義)
- 恋のグンギン・ナイト (1979年発売予告 - 実現しなかったシングル)
- エレクトリック・ラブ・ストーリー (1979年、ソロ)
- ああ、レディハリケーン (1979年、ソロ / 近田春夫&BEEF) - 資生堂「レディバスボン」CMソング
1980年代
[編集]- 星くず兄弟の伝説 (1980年、ソロ)
- Goin'にMy Way (1981年、青木美冴 / 人種熱+近田春夫名義)
- 金曜日の天使 (1981年、近田春夫&ビブラトーンズ名義)
- スマートなゲートボール (1983年、ゲートボール名義)
- 星くず兄弟の伝説 (1985年、スターダスト・ブラザーズ名義)
- MASS COMMUNICATION BREAKDOWN (1986年、President BPM名義)
- NASU-KYURI (1986年、President BPM名義)
- Hoo! Ei! Ho! (1987年、BPM PRESIDENTS featuring TINNIE PUNX名義)
- COME★BACK (1987年、F.O.E. featuring HARUOMI HOSONO with President BPM and SEIKOH ITOH名義)
- だからDESIRE (1987年、宮崎美子 / BPM名義)
1990年代
[編集]- ジェットコースター (1991年、ビブラストーン名義)
- MIKKY-D / 金っきゃねぇ (1991年、ビブラストーン名義)
- フーディスト村 (1992年、ビブラストーン名義)
- やだ (1992年、ビブラストーン名義)
- TVドラマはすべて現実? (1993年、ビブラストーン名義)
- ナイトメア (1994年、ビブラストーン名義)
- 444 (1997年、Afromix名義)
- WORM (1997年、Afromix名義)
- SCUTTLE SHAKE (1997年、SCSI-TR名義)
- HOT ROD 2001 (1997年、SCSI-TR名義)
- Black Light (1997年、NO CHILL OUT名義)
- FUNKY-ZERO (1997年、NO CHILL OUT名義)
アルバム
[編集]1970年代
[編集]- ロック・パイロット (1971年、ロック・パイロット名義)
- 日本国憲法 平和・自由・愛(1971年、羅生門名義)
- インディアン、死よりも赤を選ぶ (1972年、羅生門名義)
- ROCK IMPULSE! ゴーゴー大パーティー (1972年、ゴジラとイエロージプシー名義)
- 神崎みゆき ファースト・アルバム (1973年、加藤ヒロシとそのグループ名義)
- ロックンロール放送局 (1973年、1815ロックンロールバンド名義)
- COME ON, LET'S GO (1976年、近田春夫&ハルヲフォン名義)
- リメンバー・グループ・サウンド (1976年、近田春夫&ハルヲフォンを含むオムニバス盤)
- ハルヲフォン・レコード (1977年、近田春夫&ハルヲフォン名義)
- グディー・グディー・オルディー・ミュージック (1977年、マイルド・メンソール&シガレット・カンパニー名義)
- 電撃的東京 (1978年、近田春夫&ハルヲフォン名義)
- 天然の美 (1979年、ソロ)
1980年代
[編集]- Time, Place & Occasion (1980年、近田春夫名義、ベスト盤)
- ハルヲフォン・メモリアル (1980年、近田春夫&ハルヲフォン名義、解散後のベスト盤)
- 星くず兄弟の伝説 (1980年、ソロ)
- 「悪魔と姫ぎみ」オリジナル・サウンド・トラック (1981年、人種熱+近田春夫名義)
- ミッドナイト・ピアニスト (1981年、近田春夫&ビブラトーンズ名義)
- 鬼ヶ島 (1982年、平山みき、ビブラトーンズ名義)
- VIBRA-ROCK (1982年、ビブラトーンズ名義)
- スマートなゲートボール (1983年、ゲートボール名義)
- 「星くず兄弟の伝説」オリジナル・サウンド・トラック (1985年)
- HEAVY (1987年、President BPM名義)
- ビブラトーンズFUN (1988年、近田春夫&ビブラトーンズ名義、解散後のCD化ベスト盤)
- Vibra is Back (1989年、CHIKADA HARUO & VIBRASTONE名義)
1990年代
[編集]- ENTROPY PRODUCTIONS (1991年、ビブラストーン名義)
- Smile!! It's not the end of the world (1993年、ビブラストーン名義)
- NATIONAL (1994年、ビブラストーン名義)
- BEST 1991→1994,→ (1995年、ビブラストーン名義)
- Delicious Hip (1997年、Delicious Hip名義)
2000年代
[編集]- KINGDOM COM (2003年、The Lunatic Thunder名義)
- B.P.M.syndicate (2003年、Rice名義)
- 考えるベスト(2004年、それまでのキャリアを総括したベスト盤)
- 近田春夫&ハルヲフォンLIVE! 1975 - 77 (2006年、近田春夫&ハルヲフォン名義、解散後のCD化ライブ盤)
- Encounter (2011年、The Lunatic Thunder名義)
- 超冗談だから (2018年、ソロ)
- Organ Heaven (2018年、LUNASUN名義)
- 近田春夫ベスト~世界で一番いけない男(2019年、ベスト盤)
おもな楽曲提供
[編集]おもなCM音楽
[編集]近田は「作曲研究所」などの名義でCM楽曲(サウンドロゴ、コマーシャルソング、BGM)を1,000曲以上作曲しており、日本のCM界では歴代3位の数にあたる(1位は小林亜星で6,000曲以上、2位はキダ・タローで3,000曲以上)とされる[26]が、本人は「俗説」と否定した上で、「確かにそのぐらい書いてたかなという実感はある[26]」ともしている。 下記は特記なき限りいずれもテレビCM[27]。
- ロッテ「三角チップ」(1978年)[28]
- 白元(現白元アース)「ソックタッチ」(1978年)[28]
- 明治製菓(現明治)「明治マイレコード」DJ編(1980年)
- 服部セイコー「セイコーレディスファッション」(1980年)
- 白子のり となり編(1981年) - 第21回ACC CMフェスティバル 秀作賞
- TOTO「ウォシュレット」(1982年)[29]
- オリンパス「ピカソAF-1」ぬれてもピカソ編(1986年) - 第26回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞
- 日清食品「シーフードヌードル」無念のスルメ編(1987年) - 第27回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞
- セブン-イレブン・ジャパン 企業CM よいことのある帰り道編(1988年) - 第28回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC賞
- 公共広告機構 キャンペーン ペット公害編(1988年) - 第28回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC賞
- 森永製菓「チョコボール」(1987年 - )[29] - 「クエックエックエッ チョコボール」のフレーズで知られるCMソング
- 入場行進編(1990年) - 第30回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC賞
- My First Sony「アニメーションコンピューター」(1989年)
- ダイハツ「ミラ・パルコ」いつも仕事はつらいけど編(1989年)
- 「ミラ・パルコ90」サイパンじゃ美人編(1990年)
- 「ミラ・3ドアセダン」ミラ・ニッポン編(1990年)
- 山之内製薬「ギネスゴールド」座り寝編(1990年) - 第30回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞
- ライオン「ナテラ」ヤシからナテラ編(1991年)
- 出光興産「MOTION Mカード」とんねるず人形編(1991年) - 第31回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞
- NEC「新98MATE」(1994年) - 第34回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞
- NTT「キャッチホン」初恋編(1994年) - 第34回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞
- 日清食品「日清Spa王」(1995年 - )[29]
- 「日清Spa王・たらこ」あおい輝彦編(1995年) - 第35回ACC CMフェスティバル テレビCM部門秀作賞
- NTT「タウンページ」めくりかた編(1995年) - 第35回ACC CMフェスティバル テレビCM部門秀作賞
- 日本コカ・コーラ「爽健美茶」(1995年 - )[29]
- '98自然の精開花編(1998年) - 第38回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC賞
- ローソン 年賀状大作戦編(1996年) - 第36回ACC CMフェスティバル テレビCM部門秀作賞
- NTTドコモ「携帯電話」携帯があれば編/荷物編/タクシー編(1996年) - 第36回ACC CMフェスティバル テレビCM部門秀作賞
- サントリー「なっちゃん」(1998年 - 2001年) - コンピレーションCD『ベストCM100』(EMI TOCT-26122~3)に収録[30]
- NTTドコモ「ポケットボードPLUS」宴会編(1999年) - 第39回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC賞
- サッポロビール「サッポロ生ビール黒ラベル」(1999年 - 2003年)[31]
- カラオケ編/合戦編/金魚編(2000年) - 第41回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC銀賞
- コンビニ帰りの男編/自転車置き場の男編/特急列車の男編(2002年) - 第42回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC銅賞
- サントリー「DAKARA」(2000年) - コンピレーションCD『ベストCM100』に収録[30]
- ライオン「エメロンアクアピュア」(2000年)
- モンデリーズ・ジャパン「リカルデント」(2000年) - コンピレーションCD『ベストCM100』に収録[30]
- タイアップ楽曲
- 資生堂「レディバスボン」(1979年) - 近田春夫&BEEF『ああ、レディハリケーン』
- レナウン「Addenda/AGASA」(1983年) - ビブラトーンズ『AOR大歓迎』
- 宝酒造「タカラ本みりん」(1987年) - President BPM『タカラ本みりん』 ※シングル『だからDESIRE』に収録
おもな提供先アーティスト
[編集]- 青木美冴『Goin'にMy Way』
- EVE『恋はパッション』※作曲研究所名義
- 尾崎紀世彦『若者達の心にしみる歌の数々/本物のスター』※アトミック南名義
- 柏原よしえ『乙女心何色?』
- 川口雅代『最新情報』
- 貴島サリオ『忘れさせてあげる』
- キャット・ミキ『こどもなんだよ!』(フジテレビ系子供番組「ウゴウゴ・ルーガ」オープニングテーマ)※キャット・ミキとの共作
- クールス『シンデレラ』
- 小泉今日子『Fade Out』
- 小林千絵『ちぐはぐキッス』
- 西城秀樹『アメイジング・ガール』『スウィート・ソウル・アクション』(ポップンガール・ヒデキ)
- ザ・ぼんち『恋のぼんちシート』
- 柴田恭兵『なんとなく、クリスタル』
- ジューシィ・フルーツ『ジェニーはご機嫌ななめ』
- ずうとるび『ウッカリBOY チャッカリGAL』『NOTHING TO DO』
- スペクトラム『夜明け(アルバ)』(シングルバージョン)※スペクトラムとの共作
- 千日前ちなつ・ちあき『あきのくりづくしメニュー』(フジテレビ系子供番組「ウゴウゴ・ルーガ」エンディングテーマ)
- 戸川京子『悲しみはリアルすぎて…』
- 篠原ともえ『やる気センセーション』(進研ゼミ小学講座 CMソング)
- やくしまるえつこ『ジェニーはご機嫌ななめ』
- ラジオっ娘『恐れちゃいけない』『ひとつになりましょ』『デートとは何か?』
- Good Tears『へえ、そ〜お?』
おもな楽曲
[編集]プロデュースしたアーティスト
[編集]- 風見りつ子
- 桐島かれん
- クールス
- 小泉今日子
- ザ・ぼんち
- ジューシィ・フルーツ
- 戸川京子
- ピンナップス
- ヒカシュー
- 平山みき - アルバム『鬼ヶ島』
- The Fuse
- ザ・ベンチャーズ
- やくしまるえつこ
- Good Tears
フィルモグラフィ
[編集]- 『濡れた賽ノ目』 : 監督若松孝二、主演司美知子・山谷初男、製作若松プロダクション、配給日活、1974年9月11日公開(成人映画・映倫番号 17890) - 音楽・「塚田みのる名義」名義[4][5]
- 『(秘)肉体調教師』 : 監督白井伸明、主演渚りな、製作・配給にっかつ、1978年5月20日公開(成人映画・映倫番号 19400) - 音楽・「近田春夫&ハルヲフォン」名義
- 『餌食』 : 監督若松孝二、主演内田裕也、音楽ピーター・トッシュ/マトゥンビ、製作獅子プロダクション、配給東映、1979年6月23日公開(映倫番号 19809) - 出演
- 『暴行儀式』 : 監督根岸吉太郎、脚本荒井晴彦、主演紗貴めぐみ、製作・配給にっかつ、1980年2月16日公開(成人映画・映倫番号 110019) - 音楽・「近田春夫&ハルヲフォン」名義(挿入曲『いえなかったんだ』)、68分の上映用プリントをNFCが所蔵
- 『ピーマン80』 : 製作・監督居作昌果、主演谷隼人、製作東宝・AV企画、配給東宝、1979年9月8日公開(映倫番号 19799) - 主題曲・作詞・作曲
- 『ニッポン警視庁の恥といわれた二人 刑事珍道中』 : 監督斎藤光正、主演中村雅俊・勝野洋、製作角川春樹事務所・東映、配給東映、1980年10月4日公開(映倫番号 110198)
- 『悪魔と姫ぎみ』 : 監督高橋良輔、主演木ノ葉のこ、主題歌青木美冴、挿入歌ジューシィ・フルーツ、製作・配給スーパーウッド、1981年3月20日公開(映倫番号 不明)
- 『フリテンくん』 : 監督杉山卓、音楽監修松下治夫、主題歌中崎英也、製作東宝・ナック、配給東宝、1981年4月11日公開(映倫番号 110338) - 声の出演「フリテンくん」役
- 『星くず兄弟の伝説』 : 監督・脚本・編集手塚眞、主演久保田しんご・高木一裕、製作「星くず兄弟の伝説」プロジェクト、配給シネセゾン、1985年6月15日公開(映倫番号 111698) - 製作総指揮・原案・音楽監督・出演「おちぶれたミュージシャン」役
- 『バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ』「カラダだけの男」 : 監督明石知幸、主演沢田研二、製作光和インターナショナル、配給松竹、1991年9月14日公開(映倫番号 113591)
- 『ロック誕生 The Movement 70'S』 : 監督村兼明洋、主演内田裕也、製作「ロック誕生」Partners、配給「ロック誕生」Partners・日本出版販売、2008年10月25日公開(映倫番号 不明) - 出演
- 『ララピポ』 : 監督宮野雅之、主演成宮寛貴、製作「ララピポ」製作委員会、配給日活、2009年2月7日公開(映倫番号 118241)
- 『星くず兄弟の新たな伝説』監督・脚本・制作手塚眞、出演:三浦涼介、武田航平、配給マジックアワー、2018年1月20日に公開 - 原案・音楽
著書
[編集]- 『気分は歌謡曲』(インターソング / 雄山閣出版、1979年10月)
- 『定本 気分は歌謡曲』(文藝春秋、1998年)- 1979年版の復刻・新編版
- 『音楽が好きだ! (3) 演奏しよう! バンドっておもしろい』(ポプラ社、1994年4月)
- 『VIBE RHYME』(アイ・セクション、川勝正幸 編、1994年10月)(複製webサイト2012年2月1日開設-2018年1月サイト管理者の都合により一時閉鎖)
- 『考えるヒット』(文藝春秋、1998年4月)文春文庫、2000年
- 『考えるヒット2』(文藝春秋、1999年5月)文春文庫、2001年
- 『考えるヒット3』(文藝春秋、2000年5月)文春文庫、2002年)
- 『その意味は 考えるヒット4』(文藝春秋、2001年4月)文春文庫、2003年
- 『大きくふたつに分けるとすれば 考えるヒット5』(文藝春秋、2002年4月)
- 『いいのかこれで 考えるヒット6』(文藝春秋、2003年5月)
- 『僕の読書感想文』(国書刊行会、2008年12月)
- 『内田裕也 俺は最低な奴さ』(内田裕也・近田春夫プロデュース/白夜書房、2009年11月16日 ISBN 4861915252)[32]
- VIBE RHYME[復刻版] スモール出版 2019/3/18
- 『考えるヒット テーマはジャニーズ』スモール出版 2019/9
- 『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア、下井草秀構成、2021年1月 ISBN 4898155367)
- 『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』(文春新書、2021年8月)
- 『グループサウンズ』(文春新書、2023年2月)
脚注
[編集]- ^ a b 山崎努とトヨエツが出てた「黒ラベル」のCM音楽は“某ヒット曲”を逆から弾いてつくったんだ 文春オンライン 2021年2月11日配信 2022年6月1日閲覧。
- ^ 泉麻人『けっこう凄い人』p.40
- ^ a b 京都精華大で佐久間正英、近田春夫、高野寛、Boseが教授、ナタリー、2012年4月25日付、2015年2月6日閲覧。
- ^ a b c d 山田[2009], p.171-173.
- ^ a b c d 濡れた賽ノ目、日活、2015年2月6日閲覧。
- ^ 泉麻人『けっこう凄い人』p.41
- ^ a b 泉麻人『けっこう凄い人』p.42
- ^ 泉麻人『けっこう凄い人』p.40-41
- ^ 「調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝」
- ^ 泉麻人『けっこう凄い人』p.44
- ^ a b 恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の「ハルヲフォン誕生」(2008年12月14日付)の記述を参照。
- ^ 「ゴジラ (バンド)」の項、およびファンサイト「アラン・メリル」でのアラン・メリルインタヴューの記述を参照。
- ^ 「オールナイトニッポンのパーソナリティ一覧」の項の記述を参照。
- ^ “週1”化で、あなたはもう「ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?」に“やみつき”!
- ^ 近田の著書『僕の読書感想文』を参照。
- ^ 正高, 近藤. “70歳になった近田春夫が憧れた“イカれたおとな”とは? 芸能界で「しがらみにとらわれない」生き方を振り返る”. 文春オンライン. 2022年3月29日閲覧。
- ^ 秀, 下井草. “駆け出しプレイヤー時代の近田春夫に 内田裕也が激怒した理不尽な理由とは | 近田春夫が語る近田春夫”. CREA. 2022年3月29日閲覧。
- ^ 秀, 下井草. “近田春夫がアラン・メリルから学んだ ロックにおける曲作りの奥義とは? | 近田春夫が語る近田春夫”. CREA. 2022年3月29日閲覧。
- ^ “オカエリ ジューシィ・フルーツ”. [テクノポップ] All About. 2022年3月29日閲覧。
- ^ 「近田春夫自伝」P.195
- ^ 「近田春夫自伝」P.255
- ^ “【特別対談】 近田春夫×マーティ・フリードマン ~Perfumeのサウンドを語る~”. 音楽出版社. 2009年4月26日閲覧。Perfumeとは空耳アワード2009でマーティ・フリードマンらとともに出演している。
- ^ ジャップ・ロック・サンプラー -戦後、日本人がどのようにして独自の音楽を模索してきたか-
- ^ “「青谷弥生人」のそっくりさんと名前を発表しました!”. とリネット. 鳥取県 (2022年2月1日). 2022年2月1日閲覧。
- ^ 『菊地成孔の粋な夜電波』第35回(2011年12月16日)の写真館です。近田春夫さんと2時間サシで対談。
- ^ a b 山崎努とトヨエツが出てた「黒ラベル」のCM音楽は“某ヒット曲"を逆から弾いてつくったんだ(3ページ目) 文春オンライン、2021年2月11日
- ^ 「近田春夫」テレビCMの検索結果 放送ライブラリー
- ^ a b 山崎努とトヨエツが出てた「黒ラベル」のCM音楽は“某ヒット曲"を逆から弾いてつくったんだ(1ページ目) 文春オンライン、2021年2月11日
- ^ a b c d 山崎努とトヨエツが出てた「黒ラベル」のCM音楽は“某ヒット曲"を逆から弾いてつくったんだ(2ページ目) 文春オンライン、2021年2月11日
- ^ a b c 歴代CMソングをメドレーで100曲収録!コンピ『ベストCM100』発売 CDジャーナル、2006年11月21日
- ^ 山崎努とトヨエツが出てた「黒ラベル」のCM音楽は“某ヒット曲"を逆から弾いてつくったんだ(4ページ目) 文春オンライン、2021年2月11日
- ^ 白夜書房HP『内田裕也 俺は最低な奴さ』【近田春夫・プロデュース】
参考文献
[編集]- 『山田広野の活弁半生劇場 - 活弁映画監督のつくりかた』、山田広野、ポット出版、2009年3月14日発行 ISBN 4780801222
外部リンク
[編集]- 近田春夫オフィシャルサイト
- 近田春夫 - ビクターエンタテインメント
- 近田春夫 - Webcat Plus
- 近田春夫 - Yahoo! ミュージック(ウェイバックマシン)
- 近田春夫 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- 近田春夫 - KINENOTE
- 近田春夫 - allcinema
- 近田春夫 - 日本映画データベース
- 近田春夫 - 文化庁日本映画情報システム
- 近田晴夫&ハルヲフォン - 文化庁日本映画情報システム (表記誤記)
- ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ? - ウェイバックマシン(2011年3月23日アーカイブ分) - NHKラジオ第一放送
- 近田春夫 - ウェイバックマシン(2013年7月28日アーカイブ分) - 京都精華大学