那須資永

 
那須資永
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 不明
死没 永正11年6月7日1514年6月29日)または永正13年6月7日1516年7月6日
別名 二郎[1]、那須太郎[1]
官位 大膳大夫[1]
氏族 白河結城氏那須氏(上那須家)
父母 結城政朝(義永)那須資親
兄弟 結城顕頼資永
那須資親
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那須 資永(なす すけなが)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将那須氏(上那須家)16代当主。

略歴

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結城政朝(義永)の次男として誕生。

那須氏15代当主・那須資親の娘を娶り婿養子となる。後に養父・資親に実子・山田資久が生まれると、資親は資久に跡を継がせるよう遺言を残したため、後継者争いが勃発。永正11年(1514年[2]、資久を捕らえ殺害したが、居城を下那須家の那須資房大田原資清らに攻められ自害した[3]。これにより上那須家は断絶することになる。

脚注

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  1. ^ a b c 『那須系図』
  2. ^ 永正13年(1516年)とも。
  3. ^ 大日本史料』第9編之6 316頁

出典

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  • 『那須系図』
  • 『那須記』(下)
  • 『那須譜見聞録』(十 十一)