野瀬七郎平

野瀬 七郎平(のせ しちろべい、1871年1月18日明治3年11月28日[1]〉- 没年不詳)は、日本の実業家江商株式会社社長[2]。幼名・亀二郎。滋賀県平民[1]

略歴

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甲良が生んだ近江商人。先代・野瀬七郎平の長男として生まれた[1]1892年(明治25年)3月に家督を相続し七郎平を襲名[1]

綿花の輸入・販売に従事、世界を舞台に活躍。「江商株式会社(のちの兼松) 」の社長に就任。綿業貿易事業に通算50年間従事した。東甲良小学校講堂、北落安楽寺本堂屋根瓦、彦根高商(のちの滋賀大学経済学部) など、その他各地に寄付をした[2]

「おのが身を、朝な夕なにかへりみて、正しきみちをすすみゆかなむ」 (翁86歳の句)[2]

脚注

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  1. ^ a b c d 『人事興信録 第4版 2025年1月閲覧
  2. ^ a b c 広報・こうら 2021年12月 野瀬七郎平邸 2025年1月閲覧

参考文献

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外部リンク

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