金歯
金歯(きんし)とは、現在の雲南省保山一帯に居住していた民族。現在の傣族の祖先と考えられている。
『集史』や『東方見聞録』といった史料では、ペルシア語で「金の歯」を意味するザルダンダーン(زردندان/zar dandān)という名称で言及されている。
概要
[編集]「金歯」という民族名は唐代のころから見られるもので、『新唐書』南蛮伝の「群蛮」条には「黒歯・金歯・銀歯の三種があり、漆や鏤金銀で歯を飾るが、寝食の際には外す(有黒歯・金歯・銀歯三種、見人以漆及鏤金銀飾歯、寝食則去之)」との記載がある[1]。『元史』地理志は金歯を含め大理国の西南に「八種の蛮」がいたと記すが、これらの諸族はタイ系民族で、現在の傣族の祖先に当たる集団とみられる[2]。
1250年代に行われた雲南・大理遠征によって金歯を含む雲南地方はモンゴル帝国の支配下に入り、様々な言語で言及されるようになる。ペルシア地方を支配したフレグ・ウルスで編纂された『集史』では、「ある部族は金の蔽い(ghalāfī az zar)を歯(dandānhā)にする(یک قوم را از ایشان عادت است دندانها را غلافی از زر می سازند)」との記載があり[3]、また別の箇所では「ザルダンダーン(زردندان/zardandān)」として言及される[4]。
クビライの治世に大元ウルスを訪れたとされるマルコ・ポーロもカラジャン王国(大理王国)の西方に位置する「ザルダンダン地方」について『東方見聞録』の中で言及している。
カラジャンをたって西行すること五日にして、ザルダンダン(金歯)という地方に到着する。住民は偶像教徒でカアンに隷属している。首府をヴォチャンという。住民はだれも彼もが黄金の歯を持っている。つまり黄金を歯にかぶせているのである。彼らはまず自分の歯に合わせて黄金の包被を作り、これを上歯・下歯の全部にかぶせる。ただしこれは男だけに限り、女はしないことになっている。また男たちは両腕両脚の周りに環状・帯状の墨点を付しているが、この入れ墨の仕方は次のようにするのである。すなわちまず束ねた五本の針で血が流れるまで肉を刺し、そこへ黒色の顔料を塗布するのだが、こうするとこの顔料はどうしても落ちなくなる。彼らはかかる環状の入れ墨をしているのを優美で高尚だと心得ている。男たちは彼ら流に言って皆が紳士であるから、出陣し出猟しタカ狩することにのみ明け暮らしている。 なにごとによらず、万事は女たちと戦争で俘獲されて奴隷として使役されている男たちとでするのである。実際、この女たちと奴隷とは必要ないっさいをやり遂げる。…… — マルコ・ポーロ、『東方見聞録』[5]
モンゴル帝国(大元ウルス)支配下の金歯は雲南等処行中書省下の大理金歯等処宣慰司都元帥府に統轄された[6]。『東方見聞録』中の「首府ヴォチャン」は、大理金歯等処宣慰司都元帥府に属する永昌府を指すと推定されている[7]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- ラシードゥッディーン『集史』(Jāmiʿ al-Tavārīkh)
- (校訂本) Muḥammad Rawshan & Muṣṭafá Mūsavī, Jāmiʿ al-Tavārīkh, (Tihrān, 1373 [1994 or 1995] )
- (英訳) Thackston, W. M, Classical writings of the medieval Islamic world v.3, (London, 2012)
- (中訳) 余大鈞,周建奇訳『史集 第2巻』商務印書館、1985年
- 愛宕松男『東方見聞録 1』平凡社、1970年
- 藤沢義美『西南中国民族史の研究 : 南詔国の史的研究』大安、1969年