鈴木良一 (歴史学者)
鈴木 良一(すずき りょういち、1909年9月12日 - 2001年4月3日[1])は、日本の歴史学者。専攻は中世史。土一揆・国一揆の研究で先駆的業績をあげる[2]。その後に有力説となった戦国時代の明応の政変始期説を提唱する[3]。
来歴
[編集]京都府生まれ[4]、神奈川県出身。1930年第三高等学校文科乙類卒業[5][6]、1933年東京帝国大学文学部国史学科卒業[7]。卒業論文は「中世に於ける農民の統制(特に社寺を中心として)」[8]。愛知県女子師範学校(現・愛知教育大学)[9]、愛知県半田中学校[10]で教諭。戦後は神奈川県で高校教師となる。のち平塚市史編さん協議会委員長[11]。
著書
[編集]- 『日本中世の農民問題』高桐書院 現代歴史学論叢 1948年 のち校倉書房
- 『下剋上の社会』三一書房 新日本歴史双書 中世 1949年
- 『社會構成史体系 第1部(日本社會構成の發展) 純粹封建制成立における農民鬪爭』日本評論社 1949年
- 『豊臣秀吉』岩波新書 1954年
- 『織田信長』岩波新書 1967年
- 『国民の歴史 カラー版 第11 戦国の動乱』文英堂 1968年
- 『応仁の乱』岩波新書 1973年
- 『大乗院寺社雑事記 ある門閥僧侶の没落の記録』そしえて 日記・記録による日本歴史叢書 古代・中世編 1983年
- 『中世史雑考』校倉書房 1987年
- 『後北条氏』有隣新書 1988年
共著
[編集]- 「戦国の争乱」『岩波講座日本歴史』第8巻 中世4 1963年
参考文献
[編集]- 海津一朗「学界だより 鈴木良一氏と日本中世史学」『歴史学研究』第757号、2001年、43-45頁、NAID 40003820495。
- 佐藤伸雄「読者のひろば 歴教協のうち・そと 鈴木良一氏」『歴史地理教育』第627号、歴史教育者協議会、2001年、100-101頁、ISSN 0288-1535。
- 署名無し(著)、日本歴史地理學會(編)「全國各大學史學科學生の卒業論文題目(一)」『歴史地理』第61巻第3号、地人書館、1933年、94-98頁、NCID AN00254866。
- 鈴木良一、稲垣泰彦、太田順三、佐藤和彦「教育実践が生みだす人民の歴史学(1)」『歴史評論』第234号、1970a、64-76頁。NAID 40003829562
脚注
[編集]- ^ 佐藤伸雄 2001
- ^ デジタル版日本人名大辞典「鈴木良一」2022年1月19日閲覧
- ^ 鈴木良一「戦国の争乱」『岩波講座日本歴史』第8巻 中世4 1963年
- ^ 鈴木良一『織田信長』〈岩波新書〉1967年 著者紹介
- ^ 鈴木良一 et al. 1970a
- ^ 『第三高等学校一覧 昭和5年4月起昭和6年3月止』第三高等学校、1930年、(名簿)189頁。NDLJP:1279095/184。
- ^ 『官報』第1924号、昭和8年6月2日、p.46
- ^ 署名無し 1933
- ^ 中等教科書協会編『中等教育諸学校職員録 昭和9年5月現在(第31版)』中等教科書協会、1934年9月、p.529 なお、同書の昭和11年5月現在(第33版)まで、鈴木の名前が掲載されていることが確認できる。
- ^ 中等教科書協会編『中等教育諸学校職員録 昭和12年5月現在(第34版)』中等教科書協会、1937年9月、p.612 なお、1943年2月25日印刷、3月1日発行の『歴史学研究』第108号の「編輯後記」には愛知県半田中学校奉職中と紹介されている。
- ^ 平塚市 編『平塚市史 2 (資料編 近世 1) 本編』平塚市、1982年、898頁。