鉄永幸紀
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鉄永 幸紀 てつなが ゆきのり | |
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生年月日 | 1947年11月21日 |
出生地 | 鳥取県気高郡青谷町 (現・鳥取市) |
没年月日 | 2015年12月8日(68歳没) |
出身校 | 大阪大学理学部中退 |
前職 | 青谷町議会議員 鳥取県議会議員 |
所属政党 | (自由民主党→) 無所属 |
鳥取県議会議員 | |
選挙区 | (旧気高郡選挙区→) 鳥取市選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1991年4月7日 - 2013年11月26日 |
青谷町議会議員 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1973年7月 - 1989年 |
鉄永 幸紀(てつなが ゆきのり、男性、1947年11月21日 - 2015年12月8日)は、日本の政治家・実業家。青谷町議会議員(4期)、鳥取県議会議員(6期)。社会福祉法人青谷福祉会理事長。有限会社鉄永商店代表取締役。
概要
[編集]1966年3月、鳥取県立鳥取西高等学校卒業。大阪大学理学部在学中の1969年1月、父を交通事故で亡くし、家業「鉄永商店」を継ぐため中退[1]。その後、鉄永商店の経営再建を成功させた[2]。
1973年7月、25歳で青谷町議会議員に初当選。1985年7月、青谷町議会議長。1988年7月、鳥取県町村議会議長会議長。
1991年4月、鳥取県議会議員で初当選[3]。1999年5月、鳥取県議会自由民主党政調会長。2003年7月、自由民主党鳥取県連幹事長。2007年5月10日、鳥取県議会議長( - 2009年6月4日)。2011年4月、鳥取県議会自由民主党会長。
2013年11月26日、翌年4月に実施される鳥取市長選挙に無所属で出馬のため、議員辞職願を提出。同日付で議員辞職[4]。
2014年4月13日、鳥取市長選挙にて落選。投票数は、深澤義彦:29,625票、鉄永幸紀:25,690票、福浜隆宏:25,645票。投票率は、52.96%[5][6]。
脚注
[編集]- ^ “2014鳥取市長選:候補の横顔/中 鉄永幸紀氏 父急死、20代で経営者 /鳥取”. 毎日新聞. (2014年4月9日) 2014年5月26日閲覧。
- ^ “講演会記録”. 鉄永幸紀後援会 (2014年3月17日). 2014年5月26日閲覧。
- ^ “県議会議員選挙の記録(昭和22年以降) 第12回(平成3年4月7日)”. 鳥取県議会事務局. 2014年5月26日閲覧。
- ^ “平成25年度議会運営委員会開催概要 平成25年11月26日(火)(閉会中)”. 鳥取県議会事務局 (2013年11月26日). 2014年5月26日閲覧。
- ^ “鳥取市公式ウェブサイト:平成26年4月13日執行 鳥取市長選挙・鳥取市議会議員補欠選挙 投票・開票速報”. 鳥取市選挙管理委員会事務局 (2014年4月13日). 2014年5月26日閲覧。
- ^ “ザ選挙 - 鳥取市長選挙(2014/04/13投票)結果”. 株式会社VoiceJapan (2014年4月13日). 2014年5月26日閲覧。
- ^ “鳥取県議会元議長 鉄永氏が死去(鳥取県)”. 日テレNEWS24 (2015年12月8日). 2015年12月9日閲覧。
外部リンク
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