鍋島直堅
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄8年4月28日(1695年6月9日) |
死没 | 享保12年12月4日(1728年1月14日) |
改名 | 岩松(幼名)、直堅 |
別名 | 宰相(通称) |
戒名 | 徳雲院大年際雄大居士 |
墓所 | 佐賀県鹿島市古枝町久保山の普明寺 |
官位 | 従五位下、和泉守、刑部少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 肥前鹿島藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 | 父:鍋島直條、母:於野津(中野氏・蓮清院) |
兄弟 | 朝英、茂之、姉(鍋島茂之室)、直堅、堅武 |
妻 | 正室:鍋島直称の娘・於千百 側室:井手氏(千々岩新兵衛の娘) |
子 | 直郷、直年 |
鍋島 直堅(なべしま なおかた)は、肥前鹿島藩の第5代藩主。
元禄8年(1695年)4月28日、第2代藩主・鍋島直條の五男として江戸青山邸で生まれる。宝永2年(1705年)に父が死去したため、家督を継いだ。しかし生来から病弱だった。享保12年(1727年)12月4日に鹿島で死去した。享年33。跡を長男の直郷が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 鍋島直條(父)
- 於野津、蓮清院 ー 中野氏、継室(母)
正室
- 於千百 ー 鍋島直称の娘
側室
- 清真院 ー 千々岩新兵衛の娘
子女