鍋谷鐵巳
個人情報 | ||||||||||||
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国籍 | 日本 | |||||||||||
生誕 | 1930年1月2日 日本 秋田県能代市 | |||||||||||
死去 | 2010年4月4日 (80歳没) 日本 神奈川県鎌倉市[1] | |||||||||||
スポーツ | ||||||||||||
競技 | 体操 | |||||||||||
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鍋谷 鐵巳(なべや てつみ、1930年(昭和5年)1月2日 - 2010年(平成22年)4月4日[2])は、元体操選手。
経歴・人物
[編集]秋田県能代市出身。能代市立渟城第二小学校、秋田県立能代中学校(後に秋田県立能代南高等学校、秋田県立能代高等学校と改称)、東京教育大学(後に筑波大学と改称)を経て、慶應義塾大学法学部政治学科に入学する[3][4][5]。能代中学校時代、第1回国民体育大会において、中等学校男子個人総合優勝(2位は同中学後輩の小野喬)[6][7][8][9]。東京教育大学在学中、第3回及び第4回全日本学生体操競技選手権大会の個人総合選手権において優勝。第5回国民体育大会、第8回国民体育大会において一般男子団体優勝。慶應義塾大学在学中、日本が戦後初めて参加した1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、団体総合で5位入賞を果たした[2][10][11][5][12][13][14]。日本が世界体操競技選手権に初めて参加した1954年ローマ大会では、団体総合で銀メダルを獲得した[2]。
引退後は日本体操協会参与などを歴任する[2]。2010年(平成22年)4月、肝臓がんのため死去した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 『<訃報>鍋谷鉄巳さん80歳=元体操五輪選手』毎日新聞、平成22年4月8日朝刊。
- ^ a b c d “訃報、鍋谷鐵巳参与”. 公益財団法人日本体操協会 (2010年4月5日). 2019年10月10日閲覧。
- ^ “沿革”. 秋田県立能代高等学校. 2019年10月10日閲覧。
- ^ “日本体育大学体操競技部 栄光の記録 全日本学生体操競技選手権大会”. 日本体育大学体操競技部. 2019年10月10日閲覧。
- ^ a b “大会別日本代表選手 入賞者一覧:1952年ヘルシンキ大会”. 公益財団法人 日本オリンピック委員会. 2022年7月20日閲覧。
- ^ “部活動の成績(全国大会参加一覧)”. 秋田県立能代高等学校. 2023年10月5日閲覧。
- ^ “国民体育大会”. JSPO(公益財団法人日本スポーツ協会). 2023年10月5日閲覧。
- ^ “Japanese Olympian Spirits シリーズ第四回:小野喬・清子”. 公益財団法人 日本オリンピック委員会. 2023年10月5日閲覧。
- ^ “能代高校東京同窓会会報 第19号”. 能代高校東京同窓会. 2023年10月5日閲覧。
- ^ “Tetsumi Nabeya Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月26日閲覧。
- ^ 菅原悦子『歴史ポケットスポーツ新聞オリンピック』大空出版、2008年1月29日、61頁。
- ^ “鍋谷鐵巳「一回だけの練習ではいけない」”. 能代高校同窓会. 2023年11月5日閲覧。
- ^ “能代高校東京同窓会会報 第18号”. 能代高校東京同窓会. 2023年11月5日閲覧。
- ^ “慶應義塾のオリンピック・パラリンピック選手”. 慶應義塾大学. 2023年10月5日閲覧。