長守善
人物情報 | |
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生誕 | 1900年5月26日 日本愛媛県松山市 |
死没 | 1971年6月8日 (71歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 経済学 |
研究機関 | 中央大学 |
長 守善(ちょう もりよし、1900年(明治33年)5月26日 - 1971年(昭和46年)6月8日)は、日本の経済学者[1]。中央大学名誉教授、松商学園短期大学第4代学長[2]。
経歴
[編集]1900年、愛媛県松山市生まれ[3]。第四高等学校から、東京帝国大学経済学部に進み[4]、1926年に卒業した[1]。大学院在籍ののち満鉄調査部へ勤務。ベルリン大学留学。
戦後は1948年に中央大学教授となり、経済学部長、経済学研究所長(1964年 - 1966年)などを歴任した[1]。その間、1959年に「福祉国家イギリスの研究:その理念、形成、政策」を一橋大学に提出し、経済学博士の学位を取得[5]。
中央大学を退職して名誉教授となり[2]、1970年4月1日から松商学園短期大学の第4代学長に就任して、4年制大学への昇格を目指すに取り組みに着手したが、在職中の1971年6月8日に急逝した[6]。葬儀は、日本基督教団本郷中央教会で執り行われた[2][6]。
著書
[編集]単著
[編集]- 『ナチス ヒットラー:運動・思想・政策』(日本評論社、1933年)
- 『ファッショ的統制経済』(日本評論社、1934年)
- 『ナチス経済建設』(日本評論社、1939年)
- 『英国経済の衰頽過程』(日本評論社、1940年)
- 『欧米社会主義と労働組合』(広文社、1947年)
- 『概説アメリカ政治経済史』(日本評論社、1947年)
- 『欧米社会主義と労働組合』(広文社、1947年)
- 『各国の社会主義:その形態と実践』(ダイヤモンド社、1948年)
- 『古典派経済学の理論体系』(風間書房、1949年)
- 『経済政策の基本問題』(青也書店、1949年)
- 『トーマス・ジェファーソン』(刀江書院、1950年)
- 『獨逸経済学説史』(風間書房、1952年)
- 『経済学史』(中大出版社、1952年)
- 『厚生経済学:その学説史的展望』(有斐閣、1954年)
- 『経済政策の理論』(東洋経済新報社、1957年)
- 『福祉国家イギリス:その理念・形成・政策』(東洋経済新報社、1959年)
- 『経済学史』(東洋経済信報社、1963年)
- 『経済政策:福祉国家へのみち』(東洋経済新報社、1964年)
- 『マルク・フラン・ポンド:先進国を悩ます物価上昇』(中公新書、1965年)
- 『苦悩するイギリス経済』(東洋経済新報社、1967年)
共著
[編集]- (土方成美・岩野晁次郎)『完全雇傭の理論と実際』(ダイヤモンド社、1947年)
- (国松久弥)『教師のための経済学講義』(古今書院、1950-51年)
- (稲葉四郎)『新古典派経済学の展開』(風間書房、1950年)
編著
[編集]- 『寡占と有効競争』(中央大学出版部、1967年)
共編著
[編集]翻訳
[編集]- ボェーム・バウェルク『経済的財価値の基礎理論:主観的価値と客観的交換価値』(岩波文庫、1932年)
- カール・メンガー『社会科学方法論:特に経済学のために』(岩野晁次郎・竹原八郎との共訳、高陽書院、1936年)
- T.W.ハチスン『近代経済学説史』(山田雄三・武藤光朗との共訳、東洋経済新報社、1957年)
- T.W.ハチスン『経済政策の目的』 (監訳、東洋経済新報社、1965年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 松商学園短期大学三十年史編集委員会『松商学園短期大学三十年史』松商学園短期大学、1985年3月11日、544頁。
- 『マルク・フラン・ポンド』著者紹介
学職 | ||
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先代 丹後愛二郎 | 中央大学経済学部長 1961年11月 - 1963年10月 | 次代 矢島悦太郎 |
先代 竹内良三郎 | 松商学園短期大学学長 第4代:1970年4月 - 1971年6月 | 次代 富永理 |