長山直郷
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幕府 | 江戸幕府 |
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氏族 | 長山氏 |
父母 | 父:長山直幡、母:永嶋次郎太郎墨林の娘 |
兄弟 | 直郷、直定、女子(御小姓組御番金田惣兵衛の妻)、直道、岩間正勝 |
妻 | 永井筑前守直令の娘 |
子 | 女子、直之、女子、米三郎 |
長山 直郷(ながやま なおさと)は、江戸時代後期の日本の武士(幕臣)、旗本。通称は銕之助、百助。
略歴
[編集]江戸に生まれる。父は旗本・長山直幡、母は永嶋次郎太郎墨林の娘[1]。
宝暦8年(1758年)3月18日、部屋住の時に徳川家重に御目見し、御太刀馬代を献上する[1]。
安永6年(1777年)4月14日、小普請組戸川山城守支配となった。同年6月26日、御番入りになることについて松平右近将監より命じられ、御書院番曾我若狭守組となった。同年9月1日、駿府在番に際して銀10枚を拝領した。天明4年(1784年)10月20日、大嶋肥前守組となり、同5年9月1日に駿府御破損奉行を務め、同所御城内の総御修復臨時御用を務めた[1]。
寛政2年(1790年)4月2日、渋谷隠岐守組となった[1]。同年7月19日、病身のため願いの通り御番御免となり小普請入りし、金田近江守支配となった。八木十三郎支配のとき同4年(1792年)4月7日、隠居願いを出した[1]。