青い影
「青い影」 | ||||
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プロコル・ハルム の シングル | ||||
B面 | ライム・ストリート・ブルース | |||
リリース | ||||
規格 | 7インチ・シングル | |||
録音 | ロンドン、オリンピック・スタジオ(1967年4月) | |||
ジャンル | プログレッシブ・ロック、サイケデリック・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | デラム・レコード | |||
作詞・作曲 | キース・リード、ゲイリー・ブルッカー、マシュー・フィッシャー | |||
プロデュース | デニー・コーデル | |||
チャート最高順位 | ||||
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プロコル・ハルム シングル 年表 | ||||
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「青い影」(あおいかげ、原題:A Whiter Shade of Pale)は、イギリスのロック・バンド、プロコル・ハルムが1967年に発表したデビュー曲。
全英シングルチャートで6週連続で1位を記録した。ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版)では57位にランクされた[7]。イギリスのBBCラジオ2が2009年に発表した「過去75年UKで最もプレイされた曲トップ10」では第1位に選ばれている[8]。
概要
[編集]キース・リードが作詞し、ゲイリー・ブルッカーが作曲した。しかし、後述のとおり法廷闘争が繰り広げられ、現在は当時のメンバーのマシュー・フィッシャーも作曲者としてクレジットされている。
フィッシャーのオルガンによるイントロダクションと、バッハの『管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」』との近似性はこれまでにたびたび指摘されている[9]。パーシー・スレッジの「男が女を愛する時」(1966年)の影響を受けているとも言われている[10]。
レコーディングは1967年4月、ロンドンのオリンピック・スタジオで行われた。当時、プロコル・ハルムにはまだ固定されたドラマーがいなかったため、ジャズ・ドラマーのビル・エイデンがセッションに参加した。2テイクで録音は終了し、オーバーダビングは一切されなかった[11]。ハ長調の楽曲である[12]。数日後、グループはボビー・ハリソンを新しくドラマーとして迎え入れ、アドヴィジョン・スタジオで再びレコーディングに取り組むが、このときのテイクは結局採用されなかった。「青い影」のほかに「ライム・ストリート・ブルース」が録音された[13]。
際立って聞こえるシンバルの音のせいで、プロデューサーのデニー・コーデルはラジオでかけたときに問題になるかもしれないと考えた。そのためアセテート盤を密かに海賊放送のラジオ・ロンドンに送った。ディスクジョッキーは曲をかけながら「これはとてつもないヒットになるだろう」と言い、コーデルを安心させた[14]。リスナーは熱狂し、ラジオ・ロンドンはデラム・レコードに早くシングルを出すよう働きかけた[15]。
1967年5月12日、シングルA面として発売[1]。B面は「ライム・ストリート・ブルース」[16]。2週間で40万枚近くを売り上げた。全英シングルチャートで6週連続1位を記録。同年7月29日から8月5日にかけてビルボード・Hot 100で2週連続5位を記録した[3][4]。そのほか、西ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、南アフリカにおいて1位を記録した。
同年9月、米国でファースト・アルバム『Procol Harum』が発売される。「青い影」は米国盤には収録されたが、それより3か月後の12月に発売されたイギリス盤には収録されなかった。シングルB面「ライム・ストリート・ブルース」は結局どのオリジナル・アルバムにも収録されなかった。
2015年6月、ファースト・アルバムの2枚組のデラックス・エディションが発売。「青い影」はオリジナル・バージョンのほか、2つの別バージョンが収録された。「Extended early version - March 1967」というタイトルのバージョンと、「BBC "Easybeat" session - June 14, 1967」というタイトルのバージョンが収録された[17][18]。そして「ライム・ストリート・ブルース」がめでたく収録された。
なお、邦題は「青い影」となっているが、原題の「shade」は「影」ではなく「色合い、色調」という意味であり、原題を訳すと「蒼白な」「白に近い色調」といった意味になる。
演奏者
[編集]- ゲイリー・ブルッカー - ボーカル、ピアノ
- マシュー・フィッシャー - ハモンドオルガン M-102[19]
- レイ・ロイヤー - ギター
- デイヴィッド・ナイツ - ベース
- ビル・エイデン - ドラムズ(A面)
- ボビー・ハリソン - ドラムズ(B面)
プロモーション・フィルム
[編集]最初の「青い影」のプロモーション・クリップは、イングランド・ウスターシャー州ウィットリー・コートの遺跡で撮影された[20]。ヒットシングルで演奏した5人のミュージシャンのうちの4人、ゲイリー・ブルッカー、マシュー・フィッシャー、デイヴィッド・ナイツ、レイ・ロイヤーが出演し、演奏と遺跡を歩いて回っている。ドラマーだけがビデオの記録に残っていない。初期のバンドメンバー、ボビー・ハリソンはスタジオ・ミュージシャンのビル・エイデンのドラムを彷彿させる。このフィルムは、ベトナム戦争ニュース映画の映像を挿入したピーター・クリフトン監督が指揮し、BBCのテレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」で放送禁止となった[21][22]。
プロコル・ハルムはその後、「Scopitone」技術を使用して、もう一つのプロモーション・クリップを制作した。このフィルムには演奏シーンはなく、野外でのシーンのみである[23]。この時点で、ロビン・トロワーとB.J.ウィルソンはバンドのロイヤーとハリソンを入れ替えたので、5人のミュージシャンのうち3人だけが録音に参加している。2004年にリリースされた「トップ・オブ・ザ・ポップス40周年記念1964-2004」のDVDでは、この曲は1967年を代表している。
ジョエル・ガレンのDeja-View・ミュージックビデオシリーズの一部として撮影されたフィルムもある[24]。元々、1985年後半から1986年にかけて様々なネットワーク上で放送されていたこのビデオはハリー・ディーン・スタントンとバーニー・トゥパンが出演しているが、バンドのメンバーは取り上げられていない。VH1クラシックで放映され、最近はオンラインで登場している。
「青い影」を巡る裁判
[編集]2005年、マシュー・フィッシャーが「青い影」の著作権を巡ってゲイリーとキースを相手に訴訟を起こした[25]。 フィッシャーは「オルガン・ソロを書いただけでなく、ゲイリー・ブルッカーによるオリジナルのコードに重要な改変を加え、2分36秒間に渡り、オルガンで貢献している」と主張し、この曲の作曲者としての印税をメンバーに要求した。一方、ブルッカーは「『青い影』はフィッシャーがプロコル・ハルムに加入する前に作られていて、フィッシャーはアレンジしただけだ」と主張している。2006年12月20日(現地時間)、高等法院はフィッシャーの訴えを原則として認め、40パーセントの著作権を認める判決を言い渡した[26]。ブルッカーは判決を不服として控訴した。
2008年4月3日、控訴院は2006年の判決を一部覆し、「青い影」におけるマシューの作曲者としてのクレジットを認めつつも、それに伴う印税は一切フィッシャーには入らないとした[27]。だが、2009年7月30日、貴族院は2008年の控訴審の判決を覆し、フィッシャーの言い分を認める最終判決を下した[28][29]。これによって長期間に渡る法廷闘争に終止符が打たれた。
カバー・バージョン
[編集]「青い影」 | ||||
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アニー・レノックス の シングル | ||||
初出アルバム『メドゥーサ』 | ||||
B面 | ヘブン | |||
リリース | ||||
時間 | ||||
レーベル | アリスタ・レコード | |||
作詞・作曲 | Keith Reid、ゲイリー・ブルッカー、マシュー・フィッシャー | |||
プロデュース | Stephen Lipson | |||
チャート最高順位 | ||||
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アニー・レノックス シングル 年表 | ||||
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- エヴァリー・ブラザース - アルバム『The Everly Brothers Sing』(1967年)に収録。
- ザ・ボックス・トップス - アルバム『The Letter/Neon Rainbow』(1967年)に収録。
- トップモスト - 1967年のシングル。フィンランド語詞。タイトルは「Merisairaat kasvot」。
- キング・カーティス - 1968年にシングルA面曲として発表[30]。1971年3月のライヴ録音は、ライヴ・アルバム『ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト』(1971年)に収録。
- ザ・ゴールデン・カップス - アルバム『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』(1968年)に収録。
- 眞帆志ぶき - アルバム『リサイタル』(1970年)に収録
- ジョー・コッカー - アルバム『Luxury You Can Afford』(1978年)に収録。
- ヘイガー、ショーン、アーロンソン、シュリーヴ - アルバム『炎の饗宴』(1984年)に収録。
- ドロ - アルバム『FORCE MAJEURE』(1989年)に収録。
- ライオット - アルバム『ナイトブレイカー』(1993年)に収録。
- マーク・ボニーラ- アルバム『American Matador』(1993年)に収録。
- フランク・ギャンバレ - アルバム『パッセージ』(1994年)に日本盤ボーナス・トラックとして収録[31]。
- アニー・レノックス - カヴァー・アルバム『メドゥーサ』(1995年)に収録。アルバムからの2枚目のシングルとしてカットされた。
- マイケル・ボルトン - カヴァー・アルバム『タイムレス・クラシックス(Vol.2)』(1999年)に収録。
- サラ・ブライトマン - アルバム『La Luna』(2000年)に収録。
- 重実徹 - アルバム『Organ J.』(2000年)に収録。
- 内田勘太郎 - アルバム『チャキ・シングス』(2002年)に収録。
- ラナ・レーン - アルバム『ウィンター・セッションズ』(2003年)に収録。
- ブラック・レーベル・ソサイアティ - アルバム『ハングオーヴァー・ミュージックVOL.6』(2004年)に収録。
- アンジェラ・アキ - シングル「Kiss Me Good-Bye」(2006年)のカップリング曲として発表。
- 松任谷由実 - アルバム『日本の恋と、ユーミンと。』(2012年)に収録。演奏にプロコル・ハルムが参加。
- デイヴ・エドモンズ - アルバム『オン・ギター:ラグス&クラシックス』(2015年)に収録。
備考
[編集]- 1988年に日産自動車から発売されたS13型シルビアのCMソングに使用された[32][33]。
- 1997年3月9日深夜にフジテレビが河田町旧社屋からの放送終了後、フィラーとして流した最後の音楽となった。
- ジョン・レノンは「人生でベスト3に入る曲」と語っていた。発表当時の1967年には「今の音楽業界で、この曲以外は聴く価値がない」と発言していた[34]。
- 松任谷由実はこの曲をきっかけに音楽を自作するようになったという。[34]
- 山下達郎は当時ラジオでこの曲を聴き、すぐにレコードを購入し、その日のうちに100回は聴いたという。[34]
脚注
[編集]- ^ a b 45cat - Procol Harum - A Whiter Shade Of Pale / Lime Street Blues - Deram - UK - DM 126
- ^ PROCOL HARUM songs and albums | full Official Chart history
- ^ a b “The Hot 100 - Week of July 29, 1967”. Billboard. 2022年4月21日閲覧。
- ^ a b “The Hot 100 - Week of August 5, 1967”. Billboard. 2022年4月21日閲覧。
- ^ “Hits of the World”. Billboard: 63. (30 September 1967) 24 March 2022閲覧。.
- ^ dutchcharts.nl - Procol Harum - A Whiter Shade Of Pale
- ^ Procol Harum, 'Whiter Shade of Pale' | 500 Greatest Songs of All Time | Rolling Stone
- ^ 過去75年、UKで最もプレイされた曲トップ10(BARKS)
- ^ Maconie, Stuart (2014). The People's Songs: The Story of Modern Britain in 50 Records. Ebury Press. p. 82. ISBN 978-0091933807
- ^ Holm-Hudson, Kevin (2008). Genesis and The Lamb Lies Down on Broadway. Ashgate Publishing. p. 78. ISBN 978-0-7546-6147-4 8 December 2009閲覧。
- ^ Johansen 2000, p. 68.
- ^ “A Whiter Shade of Pale”. Musicnotes.com (2009年9月14日). 2021年6月2日閲覧。
- ^ Johansen 2000, p. 68–69.
- ^ Johansen 2000, p. 70.
- ^ Gray, Marcus (8 June 2017). “Procol Harum: The ultimate tale of A Whiter Shade of Pale”. Loudersound. 14 March 2022閲覧。
- ^ Procol Harum - Topic. “Lime Street Blues (2009 Remaster - Mono)”. YouTube. 2022年4月28日閲覧。
- ^ Procol Harum (2017年12月31日). “A Whiter Shade of Pale (Extended early version - March 1967)”. YouTUbe. 2023年10月15日閲覧。
- ^ Procol Harum (2017年12月31日). “A Whiter Shade of Pale (BBC "Easybeat" session, June 1967)”. YouTUbe. 2023年10月15日閲覧。
- ^ “You’ve Turned A Whiter Shade Of Pale!”. This Day In Music. 2022年4月28日閲覧。
- ^ “Hereford and Worcester - Places - Witley court”. BBC (14 July 2008). 2 July 2018閲覧。
- ^ Robinson, Alan (November–December 2009). “Procol Harum”. Shindig!.
- ^ PROCOL HARUM - A Whiter Shade Of Pale - promo film #1(Official Video)
- ^ PROCOL HARUM - A Whiter Shade Of Pale - promo film #2(Official Video)
- ^ Noel Holston (12 December 1985). “Deja View Looks Into The '60s”. Orlando Sentinel. 2 July 2018閲覧。
- ^ “A Whiter Shade of Pale authorship lawsuit”. 10 June 2018閲覧。
- ^ BBC NEWS | Entertainment | Organist wins Procol Harum battle
- ^ “Judgment in the AWSoP lawsuit appeal, 4 April 2008”. Procolharum.com. 10 June 2018閲覧。
- ^ “Victory for Whiter Shade organist”. BBC. (30 July 2009). オリジナルの31 July 2009時点におけるアーカイブ。 10 June 2018閲覧。
- ^ “Judgments – Fisher (Original Respondent and Cross-appellant) v Brooker and others (Original Appellants and Cross-respondents)” (30 July 2009). 10 June 2018閲覧。
- ^ King Curtis & The Kingpins - A Whiter Shade Of Pale / I Heard It Thru The Grapevine (Vinyl) at Discogs
- ^ Taylor, Robert. “Passages - Frank Gambale - Album”. AllMusic. 2024年9月5日閲覧。
- ^ 日産ミュージアム シルビア 主なCM曲
- ^ 「CM音楽から消えた『時代の音』」『朝日新聞』1988年10月29日東京夕刊、7頁。
- ^ a b c プロコル・ハルムの名曲「青い影」にまつわるいくつかの逸話 TAP the POP(2017年5月12日付)
参考文献
[編集]- Johansen, Claes (2000). Procol Harum: Beyond the Pale. London: SAF Publishing. p. 86. ISBN 0-946719-28-4 . "Procol Harum Beyond The Pale."
- Kubernik, Harvey (2017). 1967: A Complete Rock Music History of the Summer of Love. New York, NY: Sterling. ISBN 978-1-4549-2052-6
関連項目
[編集]- カンタベリー物語 - この物語集の中の「粉屋の話」が歌詞に登場し、重要な意味をもつ。
- ウェスタの処女 - 歌詞中に「十六人のヴェスタの処女」が登場する。
- ザ・コミットメンツ - キーボード担当のスティーブが教会で演奏する。
先代 ザ・トレメローズ 「サイレンス・イズ・ゴールデン」 | 全英シングルチャート 1位 1967年6月8日 - 7月12日(6週) | 次代 ビートルズ 「愛こそはすべて」 |