須田喜照
山梨学院大学硬式野球部 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 山梨県 |
生年月日 | 1970年10月13日(54歳) |
身長 体重 | 175 cm 64 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴
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この表について |
須田 喜照(すだ よしてる、1970年10月13日 - )は、元社会人野球選手(投手)、高校・大学野球指導者。現役時代は東芝野球部に所属していた。
人物・来歴
[編集]山梨県出身。山梨学院大附高在籍時はエースとして活躍するも、1988年夏の山梨県大会では決勝戦で東海大甲府に敗退し、夏の甲子園出場はならなかった。
その後専修大学に進学し、2年上に岡林洋一、杉山賢人らがいたが1部リーグ通算15試合に登板、0勝5敗、防御率4.70の記録を残す。卒業後に、東芝に入社。細身ながらキレのある速球と縦のカーブを繰り出し、東芝の左腕エースとして台頭した。激戦の神奈川地区にあって、後輩の銭場一浩らと共に東芝の屋台骨を支えた。東芝での主なチームメイトには、他に高橋尚成・清水直行・戸部浩・香月良太・平馬淳・坪井智哉らがいる。
1999年に東芝が都市対抗野球を制覇した際には、決勝で三菱重工長崎を完封し、MVPに当たる橋戸賞を受賞した。
2002年限りで現役を引退、翌2003年には東芝も退社して山梨に帰郷、地場の建設会社に勤務するかたわら、自社の軟式野球の監督を務めた。 2007年からは母校である山梨学院大附属高の投手コーチを務め、翌2008年から2012年まで同校の監督に就任。2013年から山梨学院大学野球部のコーチを務め、現在は監督を務める[1]。
主な表彰・タイトル
[編集]- 第70回都市対抗野球大会橋戸賞 (1999年)
- 第64回都市対抗野球大会若獅子賞 (1993年)
- 都市対抗野球大会優秀選手賞(投手部門) 4回(1993年、96年、99年、2002年)
- 社会人ベストナイン投手部門 2回(1999年、2000年)
- 都市対抗野球本大会10年連続出場(2002年、いすゞ自動車の補強選手として出場達成)
日本代表キャリア
[編集]- 四カ国対抗戦(2001年)
- 第34回ワールドカップ(2001年)
指導者キャリア
[編集]脚注
[編集]- ^ “硬式野球部スタッフ紹介”. 山梨学院大学. 2020年12月4日閲覧。