飯櫃城
飯櫃城 (千葉県) | |
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飯櫃城 | |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 山室氏 |
遺構 | 土塁、堀 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度43分45秒 東経140度25分17.4秒 / 北緯35.72917度 東経140.421500度座標: 北緯35度43分45秒 東経140度25分17.4秒 / 北緯35.72917度 東経140.421500度 |
地図 |
飯櫃城(いびつじょう)は、千葉県山武郡芝山町飯櫃にあった日本の城。
概要
[編集]城址は、芝山町飯櫃の字谷台にある。高野神社が祀られている。
天文元年(1532年)、千葉氏の一族である山室常隆が飯櫃城の約7キロメートル南方にあった山室城から移り、ここに拠ったという[1]。
山室常隆は、多古城主・牛尾胤仲とたびたび佐野原(多古町佐野)で兵たちに騎射の術を競わせていた。弘治元年(1555年)6月のこと、両者の兵が酒に酔って論じあったのがきっかけとなり、本来ゲームであるべき騎射が実戦と化してしまった。このとき、弓の名手であった常隆は、胤仲の弟を射殺してしまい、胤仲の軍勢は破れて多古城に逃げ帰った。
常隆はすかさず多古城を攻撃し、胤仲は城を捨ててさらに逃げた。常隆は城を奪い、多古52村を併せ領した。
同年10月1日、牛尾胤仲の家臣らが飯櫃城に夜襲をかけてきたが、城兵はよく抵抗し、家臣らは逃げ去った。その2日後、胤仲は再び飯櫃城を攻め立てたが、やはり破れて、染井の妙光寺に立てこもった[2]。
構造
[編集]東西320メートル、南北240メートルの広さを持ち、空堀で3つの郭に分けられる直線連郭形の城である。遺構は、非常に良好に残っている。「根古屋」「外宿」「宿」の地名も残り、城下集落の名残をとどめている[3]。